自己評価をあまり高く持っていると、辛い人生しか待っていないのだよん
ブログを書くことで、イライラしているのが修正できるのだそうな。
精神科医の和田秀樹先生の古本「今日からイライラがなくなる本」(三笠書房)をちらちら風呂の中で見ていたらそう書いてあった。ちなみに、和田先生は受験業界のカリスマである。いろいろ参考にさせてもらっているから、時々買っては、塾の生徒に還元しているのだ。
なかなか面白いことが書かれていたから、ちょっとここに短文でもってメモしておく。
さらに、思ったことがある。
それは「自己愛」のことである。
アタシャ、年齢を重ねるとともに、自己愛が少なくなってきたと思うのだ。自己評価がそもそも人生のスタートから低いから、他人にナメラレテも平気でいられる。
それになんか不幸なことが起きても、他人のせいにしない。
退学した大学院のことでも、大学のせいにしたことはないし、ましてや先生方のせいにしたこともない。まったくない。
自分がバカで、基地外であったから、学業劣等であったからと書いてきたが、まったくそのとおりである。本心からそう思っているのだ。だからハラの立つようなことはまったくないのである。
不思議なくらいに、自己評価が高くないのである。
当たり前でアル。
こんなバカが、なにを血迷って評価を高くしてくれとどのツラ下げて言うことができるだろうかと思っているからである。
成果もへったくれもない。
そもそもそんなのは、私のアタマにない。あたりまえである。アメリカ型の成果主義には、毒されてきていないからである。
さらにある。
それは「白黒きっちりしないとアカン」という二分法の考え方にないからでもある。
あるいは、イエスかノーかというような思考法をとらないのである。
ともかく二つにわけて考えないのである。
やるとすれば、最良の場合と最悪の場合はあらかじめ想定しつつものを考えることはある。準備だけはおさおさ怠らないのである。
だから大きな失敗をしなかったのであろう。
もっとある。
イライラしているより、笑って過ごした方がずっといい。なにに良いか。
精神衛生上である。
笑って過ごしていれば、他人とオノレを比較することもないのだ。
比較しているとせつないではないか。
ある美男と私が、顔の美醜でもって、比較していたらたまったもんではない。
そんな無駄なことはしないことだ。
顔の美醜でもって話題にされたら、笑い飛ばすことである。
むろん、カミの毛があるかないかという話題もそうである。もうこっちには無いんだから、いまさらジタバタしないことである。
すっきりしていて、実に居心地がいいとふざけていればいいだけである。
禿げたジジイが、素敵な大都会のバーで美しい女性を口説けるわけがないではないか。
志村けんではあるまいし。
わははっははっははっはは。
これもまた生涯学習ごっこをやっているバカで基地外ジジイの生きる「コツ」でございまするよん。
じゃぁ、これにて今日は退散です。
また明日!