ボツである。ボツ。あああああああああああああああ、情けない。
藝能史研究会の研究誌に出ていた山路興造先生の「高野山麓の猿楽と田楽」という論文に感心していた。(藝能史研究№211号所載)
さすがに碩学である。
もっとも、山路興造先生に憧れていたから、この藝能史研究会という学会に入会させていただいたのだっけ。
そもそもなんの利益も生み出さないから、周囲からの顰蹙(ヒンシュク)を買うことになるのだなぁとしみじみ思う。
学会に出席させていただいたら、全部自前で持ち出しである。
それになんの収益も生み出さない。
これじゃぁねぇ~。
誰も相手にしてくれないわけである。
自己満足である。
こんなんだったら、東北の湯治場でも行って、古女房ドノ孝行をしていたほうが、ずっといい。夕食のおかずも一品増えるかもしれないではないか。バカバカしいことばかりやってきたもんである。
そもそもオノレへの自己評価がまったく高くないから、こうやって遊んでいられるのだよん。
年末まで投稿しようとしていた論文めいたものも、とうとう15000字で終わって、書き上げることができなかったし。
研究ノートでも、この構成だと危うい。
やるならやるで、一応形は整えたいと思っているから、この程度の論文めいたものでは査読会議でひっかかりもしない。
ボツである。
ボツ。
あああああああああああああああ、情けない。
そんなもんでありますな。
そんなもん。
ま、こつこつと書いていたら、どっかに投稿できる可能性はあるかもしれないから、継続はしていくつもりだが。
死ぬまでには書き上げたいということですな。
そういうことでありまするよん。
Bye-bye