朝からあはははっははははである
朝から孫と一緒に、あはは・おほほ・くくく・わははと過ごしている。だからブログの記事を書いている暇がないんだけれども、孫と一緒に公園なんかに行っている。そういう時間はあるわけである。
そして思った。
結局、公園デビューを果たしたのだと。孫と一緒のジジイとして。
普通これは若いママである。
こっちは残念ながら、年取ったジジイである。
しかも、公園にはそのママすらいない。寒くて。小さな公園だから、誰もいない。年末でみんな忙しいのであろうから。
遊んでいるのは、私のようなじーさんである。みんな忙しいのだろうからなぁ。
忙しくないのは、孫とじーさんである。
でもねぇ、忙しい、忙しいって言ったって、所詮現役時代まで。定年になったらイヤでも、忙しくなくなる。放出されるわけである。\(^_^)/である。
それに、孤独な時間を思い切り楽しむことができる。読書もできる。デタラメ論文書きもできる。ノートもとれる。メモもできる。
なにより良いのは、自分の好き勝手にできることだ。ノルマもないし、世間の評判も気にしなくていい。
朝起きてから、ずっと自分の好きなことをして、好きなように生きていられるのだ。
他人が決めることはいっさいない。
今日はこっち行ってくれとか、あっちに行っていればぁ~というのがない。
つまり気楽だということだ。
しがらみもない。ご縁もない。組織に属していないから、責任もない。少々のバイトしかない。バイトだから、いつでもクビを切られるが。
そうなのだ。
いつでもクビを切られるんだから、そんなに粋がっている必要もない。所詮そんな程度の人間であるからだ。気取って、知識人のようなまねをしている必要もない。最初から知識がないからだ。
プライドもない。なんにもない。
欲もない。マジにない。欲を出しても、カネがないからものが買えない。買えないから、モノに興味がわかない。
それでいいのだ、それで。
小欲になっちまったんである。
欲は少しはある。食欲をはじめとして。
だから小欲なんである。
ちっちゃいのだ。
無理もしない。
ガキのころからそうだった。友達がいなかったとはいわない。少しはいたからだ。しかも悪さ専門であった。いじめられたということもない。
なんだか、そういうこだわりがなかった。変なガキだったと思う。
読書も好きだったし、こういうのはいじめの対象になるんだろうが、そうではなかった。生きるためのしぶとい知恵があったんだろう。
しかも周囲にあわせるだけのいわゆる流され人間でもなかった。むしろ周囲にあわせないから、独自に生きてこられたのかもしれない。
今でもそうだ。
独自性の方が優っていると思う。
他人にあれこれ言われて動くのが嫌いだし。好き勝手に行動していたいタイプだし。
スポーツで言うと、団体競技ができないタイプなのだ。個人競技である。柔道がやっぱり一番適していたのだなぁと今更ながら思う。ただし、四段でしかない。そんな程度の人間である。
他人を意識しないことである。
上も下も、左も右も。
(@^^)/~~~