と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

健康学というか、オノレの体調管理もまた立派な「生涯学習」なのだ

2015年12月18日 17時59分10秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

今日のwalkingの距離は、9.3キロ。歩数で10390歩。これからヨルバイトの塾がある。こっちもタノシミだなぁ~。マジに。

 

 

再検査結果は、実に順調。順調、順調、順調の介で。一安心。

来月は一回飛ばして、2月に再検査をすることにした。さらに、大腸内視鏡も2月にやる。実は、クリスマスの日に、わざと人間ドックを入れてあるので。クリスマスの日は人間ドックも空いているのだ。二日間。ラッキーである。

それから孫たちが遊びに来るのだが、ちょっと一日遅れでクリスマス・プレゼントはあげることにしている。毎年のことである。クリスマスに、人間ドックでいなくなっちまうのは。もの好きなジイジであることよん。

巷で、にわかキリスト教の信者もどきがたくさんいるから、かえって狙い目である。

クリスマスの日は、胃カメラの内視鏡もある。こっちもタノシミである。どっか具合が悪かったら、なんでも治療できる大病院である。

死ぬときはこの大病院で、と決めているからお世話になりっぱなしである。

ま、なんでもないというのが一番である。しかし、去年の11月まではなんでもなかったのに、足がむくんでいるからと気軽に出かけたら、即入院であったから油断はできない。

健康なんてあてにならない。それまではどこも具合の悪いところ無しでもって、毎日無敵の論文書きをしていたのだから。

だから、健康学というか、オノレの体調管理もまた立派な「生涯学習」なのだと思うことにした。まったくそうだ。これほど大切な生涯学習はないと思っている。今は。

学校では保健体育である。これは実に大事な勉強であったのだが、気がつくのが遅かった。

文武両道とはいうが、文や武の片一方ばかりやっていたら、人間が偏向してしまう。

文武は一貫してこその「文武両道」である。両方できなければアカンのでっせ。

まったく。

今日は、我が茅屋の障子紙を張り替えていたので、gymに行けなかった。

行けなかったが、歩いては、きた。

距離は、トータル9.3キロ。

歩数で10390歩。

もっともこの歩数は、速歩でないとカウントしてくれないから、実際はもっと歩いている。12465歩だった。たらたら歩いていての歩数は。

これからヨルバイトの塾がある。

こっちもタノシミである。一番気晴らしになるからだ。中高生と一緒に、国数英とやるのだから、たまらないタノシミである。

ある意味酒場でオダをあげているバカなおとうさんよりも、健康的である。マジにそう思う。

 

さ、17:56である。

これくらいにしよう。

また明日。

 

 

 

 

 

 

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今日は当事者として一日過ごしまひょ

2015年12月18日 09時10分20秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

当事者と言えば、これから東洋一の巨大病院に再検査で行くのだけれども

 

 

昨日、塾から帰ってきて風呂に入って、それから復活したAU回線を使ってAmazonを見ていた。

風呂の中で、日本古典文学全集(小学館版)の「太平記」が、たった一冊しかないことに気がついたからである。岩波の日本古典体系本は、全部持っているが、これまで小学館の方の古典本はあまり買ってこなかった。

なぜか。

小学館の方は、訳がついているからである。下段に。本文と脚注と訳文で構成されているから、買わなかった。小学館版を読んでいるというと、学部時代の友人たちにバカにされたからだった。だから、それこそ学部生時代から、岩波本のシリーズを買ってきたのだった。新潮社の古典集成本もかなり買ってきたが、それもバカにされたっけ。傍注がついているからだった。よって、やはり基本は岩波でやってきたのだ。

それが、だんだんと崩れてきた。

なんのことはない。

古文書講座で教えていただいている先生が、小学館版を使って我々初学者に教えてくださるからである。

初学者なのである。私も。

訳がついていてもいいのだと思い始めたのだ。なにもこだわることはないのだということである。所詮、研究者でも学者でもないのに、沽券にかかわるとかくだらないことを言わないことだと気がついたのである。なにをこだわっていたのだろうか。そう思う。

これから学問で喰っていくわけにはいかないし、そんな能力も人脈も実績もない。

塾で教えるようになって、古文というか、そういうものはまず大意がわかっていないと若い生徒は興味もへったくれもない。それに文法もおもしろおかしくやってあげないと、彼ら彼女らは興味を失ってしまう。文法だって、ある一定の調子をつけて歌うようにやっていると相手がのってくる。それでいいのだと気がついてしまったのである。

受験だからといってなにも固定観念で縛り付けることはないのだった。

なんだか知らないが、母校である私の高校で教えていただいた古文の授業がベースになっているから、いつのまにかそれを踏襲しているのである。こいつはいかがなものかと思う。そりゃぁ、母校の先生方には感謝している。それでもって、学部卒業後37年間にわたって喰っていくことができたからである。しかも、塾でなんとか教えられるのも、母校の高校を出ているからである。専門外であってもできるからだ。だから感謝しているのである。

そしてそれが「惚け防止」につながっているとなると、ますます感謝せざるを得ない。

これぞ生涯学習の醍醐味である。そう思っている。

 

今は、和歌の修辞法についてノートをとっている。

和歌は苦手である。恋愛が出てくるからである。

向かないのだ。こういう話は。村上春樹と一緒である。愛だの恋だのということが出てくると、嘔吐したくなっちまう。関係のない世界であるからだ。しかし、これも古文書講座で覆ってしまった。古文書で読むとまた印象が違ってくる。書いた人たちの感情が見えてくるような気がしてしまうのだ。

バカバカしいとは思うものの、そういう感覚になってしまうのである。

若くないから、熟成してきたのかな?とも思う。世間のことが、ようやくわかってきたというべきか。愛だの恋だのということが、無関係になって初めて理解できてきたのかもしれない。

それまでは当事者になる可能性もあったからだろう。あり得ないことであるが。

私の孫たちも(男児二人)、これから愛だの恋だのといろいろあってジジイになっていくのだろうから。

そう思うと、なかなか人生もおもしろいもんだということである。

いわば観察者になってしまったのである。観察者であるから、それに徹底して生きていけばいい。

愛だの恋だのということは、観察者であってこそ、その愚かさとか、意味のある・ないということを考えることができるというものである。

でもあれかな?

当事者にとっては、私のようなジジイは「ふざけんじゃねぇ~」っていうもんなのかな?

よくわかんねぇけど。

どっちにしても当事者ではないので。

 当事者と言えば、これから東洋一の巨大病院に再検査で行くのだけれども、これだけですな。当事者というのは。

そりゃそうだ。オノレの身体・健康状況のチェックであるからで。

こいつが他人の身体・健康であったら、データが違ってくるから、そんなことがあったらたまったもんではないからだ。

 

あまりくだらないことは書かないでこれくらいにしまひょ。

 

では、出かけて参ります。

 

Bye-bye

 

 

 

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人前で話すことがうまい人は、どこか違っていると思うのだが

2015年12月18日 09時02分45秒 | 生涯学習ごっこで勘違い

コツもネタもいくらでもあるのが、人前で話すことがうまい方の特徴であろう

 

人前で話すことがうまい人がたくさんおられる。なぜそういう方々がおられるのかと思うことがたくさんある。

現役時代は、それが仕事であったし(生徒の前で話すことが多かったから)、今のバイト生活でもクチサキ一つでささやかな報酬を得ている。

それでも、なぜ人前で話すことがうまい、下手が出てくるのだろうかと思うのである。

一番聞かせる話は、メモをみない方である。さらにパワポを使わない方である。

原稿の棒読みを聞かせられるこっちの身にもなってほしいと思うくらいである。講師にむかって、「あんた!」「その原稿を(メモ)見せてくれ!」と言いたくなる人の話は、有料なら金を返してくれといいたくなっちまうくらいである。

そりゃぁ、ネタは大切である。話のネタも用意しないで話をしていたら、ただの雑談でしかない。そんなのは、人前でするような話ではない。すっこんでいろと言われてしまうだけである。

話の上手な人というのは、態度からして違う。

私はそういう人の話を、聞くのではなく、「見て」いる。これがなかなか勉強になる。

たとえば、この間聞いていた医師の健康講座では、医師の先生が聴衆の両端を見ながら話をされていた。これはこれは。さすがである。下を向いていない。パワポも操作している時は見たが、それも実に簡単なパワポで字もでかい。

見ている方がジジイやババアであるから、そういう配慮もあったんだろうけど。

さらに内容が病気の話である。

だからドクター自身がリラックスされていた。集中しながら、リラックスして話をされていると、爺婆たちは安心して聞くことができる。

ありがたいもんである。

だから、こういう話のうまい方を自分のデータベースにしておいて、オノレの引き出しを増やしていくことである。そう思っている。

これからも、そういう話をさせていただける場面があるかもしれない。

しれないではなくて、積極的にそういう機会を作っていくつもりである。

ネタはいくらでもある。たとえば、鬼来迎一本で90分10回くらいはできる。教育の話だけでも、それくらいやってきたからである。

 

これも生涯学習の「コツ」である。

 

話の依頼がなかったら、自分から開拓していくべきである。そう思っている。若干ながら、そうしたメールもいただくので。

 

もっとも、あれか。

 

九十九里浜の沖合にむかって、「オレは、えらいんだぞ~」って言っていても、海にかき消されてしまうだけだけど。

 

わははははっはははっはははっはははは。

 

Bye-bye

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12月17日(木)のつぶやき

2015年12月18日 06時01分03秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

試練は、条件であるということ。病気もそうだったし、万事がそうだったのである。それがしみじみ理解できたのが、この一年間であったのだ・・・・けふはちょっと真面目に書いてみたけど


... goo.gl/kmjCal


日本の科学者の思考には、一神教の本質の理解がセットされていないのかもしれない。原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたかも自然の事物のように扱うことは許されない。いわんやそれが「ぜったい安全である」ことなどは、ありえようがないのである。~『日本の大転換』

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

【長崎・ながさきみなとまつり】<7月最終土曜、日曜>花火、戦隊ショーなどともに、350年の歴史を持つ長崎ペーロン選手権大会が行われる。ペーロンは26名の漕ぎ手が乗った長さ14mの舟で、太鼓やドラにに合わせて往復1150mを競漕する。 pic.twitter.com/Kl3rsFk2Pu

Waishan Richunanさんがリツイート | 8 RT

これまでに人類がつくりだしてきた神話のいちばんの主題は何かといったら、「生と死は同じである」ということ、それを表現するためにあまたの神話がつくられてきたといっても過言ではないでしょう。~「超核の神話 岡本太郎について」

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

【愛知・きねこさ祭り】<旧暦1月17日>元は御田神社の祭礼で七所社が引き継ぐ。厄除け、子孫繁栄、天下泰平などを祈念する。耕作の所作を演じる合間に演者が杵とコサ(杵からこすり落とした餅)で暴れまわり、客を叩くことから名がつく。 pic.twitter.com/93W03GkFWI

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

4月からのバイトで使う新たな講義資料を作成していた

やたらとエネルギッシュで、仕事も早く、スーパーエリートに多いのが、「躁状態」にある方々だという。

そういう本を... goo.gl/SZ3uYV


首都圏直下型地震が起きた時に「危険度が高い街」ワースト5- 記事詳細|Infoseekニュース fb.me/4BreoTAsO


死ぬほど勉強、兄の陰の支え知ったから 山里亮太さん(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース fb.me/7rTaJkE3V


睡眠4時間、どん底からの大学受験 プロレス棚橋さん:朝日新聞デジタル fb.me/719ovD9vy


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/