まだ死にそうもナイから、この夏から再チャレンジをしていく。大学院に入るというような話ではナイ。
相対主義というか、相手があってナンボというのはスポーツの世界に多い。ボキのやってきた素人柔道もそうである。対人競技である。相手がいてこそ成り立つ。だから相手に礼をする。感謝のこころの現れである。
しかしである。
社会から葬り去られて、思うことがある。それは、この世はなにも相対主義オンリーではないのではないかということである。確かに、相手がいてこそのボキ達の社会生活であろう。
でも、でもである。
相手がいなくなっても、オノレの生きていく道、生きて行かなくちゃならん道は存在している。
このことに気がついたのは、定年で退職してからである。遅かった。まことに遅かった。
ボキはいつもこうである。後から、あ!シマッタと思うタイプなのである。だからバカなのである。気がつかねぇのだ。その時には。
走りながら考えているからであろう。
だから失敗ばかりしているのだ。よく考えもしないで、即行動であるからだ。メリットとかデメリットなんちゅう言葉が大嫌いだというのもこれである。よく考えたらデメリットだらけのことでも、平気の平左でもって行動に移してしまう。これはアカン。株式投資でも失敗したしなぁ~~~わははははっははは。もっともこっちも金輪際やらん。片思いの連続もそう。金輪際やらんぜよ。だれも相手にしてくれない経験しかなかったから(^_^)。
だいいち、場末の酒場かなんかで、下手くそなカラオケをやって、おバカキャラのミニスカオネーチャンにカネをふんだくられていたって、おもしろくもなんともないではないか。
走りながらというと、生涯学習ごっこもそうだ。
よく考えないで大学院に3つ関わってしまった。カネがもったいないという古女房ドノのご意見はごもっともである。まったくそのとおり。大金かかっていたからである。
教養のためというのは、放送大学の学生募集のキャッチコピーだが、これも他人を納得させるだけの要素はない。あくまでも、趣味の世界だからである。だったら、その趣味に徹してみようじゃないかと思ったのが運の尽き。
とうとうエコノミークラス症候群になってしまった。慣れないお勉強なんかして、自己満足していたからである。
*
しかし、その自己満足は少なくとも相対主義ではなかった。
あくまでも、オノレ独自の独行道である。
ボキしか歩まない世界であった。
なんと言われてもいいから、これまでささやかながらやってきたボキの興味関心の世界をまとめてみたかった。誰も評価なんかしてくれないけれども。郷土史の研究誌に3年連続で論文を出させていただいたことが、生涯最初で最後の大論文になっちまったよん。
でも、まだ死にそうもナイから、この夏から再チャレンジをしていく。大学院に入るというような話ではナイ。
ド素人ながら郷土史の研究団体に入れていただいているから、また査読付の研究論文にチャレンジしてみようと思っているのだ。7月に千葉市民会館で「今昔物語と鬼来迎」で、二時間ばかりお話をさせていただいたし。
病気にならない程度にやるつもりである。
でもあれか。
もう既に病気か・・・・・・・・。
かもなぁ。
わははははっはっはははははっはははは。
Bye-bye!