ワルクチ言っている暇があったら、もっと別のことをやった方がいい。やることはたくさんあるのだが。なかなかこれが難しいのである(^_^)
千葉市で月に一度行われている古文書講座にも参加させていただいている。専門家の講義を受け、演習もある。かなりレベルが高い。居住地でも教えていただいているが、こっちよりもはるかにレベルが高い。
今年に入ってから平賀源内の古文書を教えていただいている。かなりおもしろかった。
だから「風来山人集」をAmazonから中古本で買ったのである。これは宗教学者の中沢新一センセの高校時代の愛読書であるとTwitterで知って、ボキも欲しいと思って買ったのである。
やはりこっちもおもしろかった。ある種の変人であるから。ミンナ。
ミンナ?
そうボキもである(^_^)。
他人のこたぁ言えねぇ、言えねぇ。ワルクチは特に。他人のことをアレコレ言っている暇があったら、ボキはもっと人格向上を目指して努力すべきである。マジにそう思う。ボキくらい根性が悪いのはいないだろうから。
わははっははははっははっはは。
でもワルクチはおもしろいのである。だからはまるのである。
組織に対しても、他人に対してもである。そういうワルクチはぐっと我慢してなにも言わない方がいいのである。わかっているんだが、ついついやってしまう。しかも退職してから、我慢がきかない。言いたいことは言い放題である。
特に、ボキに面と向かってワルクチを言ってきたら相当に逆襲してしまうのじゃ。これはもうヤメタ方がよろしい。そう思っている。
相手にしないほうがいい。基地外が基地外を相手にしていたら妙なことになってしまうから。
これまたジジイになってからの生きるコツである。何十年もかかってマスターした生きるコツである。遅きに失したのだが。
まったくアホである。
塾でもそうだが、コツというものは知らないとなんにもならない。勉強法もそうである。真面目な生徒、優秀だと言われている高校の生徒ほどある一定の勉強法にこだわってしまって、自縄自縛してしまう。
たとえば、サブノート学習法をいったん覚えてしまうと、なんでもかんでもサブノートをとり始める。京大式カードがいいとなると、なんでもかんでも京大式カードでやってしまうということである。
なんのことはない。ボキ自身がそうであったからである。
ある一定の手法を厳守していたわけである。
さらにACCESSというソフトで、カードにメモしたやつを管理していた。アホの極みである。
つまりなにを言いたいかというと、そういう作業でもって記憶できたかというと残っていないのである。ボキの安上がりのアタマに。
これが惚け防止のために生涯学習ごっこに立ち上がったボキの動機なのである。
忘れたら、忘れたでいい。
またチャレンジすればいい。繰り返しである。
惚けはそれでも来るだろう。そういう時代になったら、どうなるのか。安らかに生きているのか。まだわからない。かえってタノシミでもある。誰が誰だかわからないというのは、少なくともワルクチとは無縁だろうから(^_^)。
どこまでもこだわって生きていきたい。でないとボキがボキでなくなっちまうから。
あざといと言われてもいいのじゃ。
それがボキの個性であるんだろうからねぇ。
ヒネクレジジイの本性でもある。
*
今朝も4時30分に起きて朝のwalkingをやってきた。それからNHKのラジ英を聞いた。快調である。血圧も上が119。体重は、65キロちょうど。
午後はgymに行って、シャワーをあびて、それから夕食をいただいて塾に行く。
暇人である。
趣味がアルバイトなんだから。
良き一日でありますように。今日も。
Bye-bye!