厳しい中国語講師先生からのご指導に目がさめましたよ・・・マジに。
中国語講座に行ってきた。昨日のことである。講師の中国人女性が、昨日は厳しいことを言われた。単語だって100語くらい三日で覚えよというものであった。何年やってもモノにならないというフレーズまで覚えさせられた(^_^)。
以前のボキなら撤退を考えただろう。ここまで要求されたら。
できないからだ。最初に言い訳がくるからである。できない理由を探している。
そもそもである。そもそも普段から努力していないではないか。中国語の会話も、街で中国人を見かけたら積極的に話しかけてみるべきなのにそれもやらない。
うううううううううううううむである。
最初から努力を放棄している。
(*_*) マイッタね。
そういうことだから、博士を目指したゴミ論文書きもダメだったのである。しかも健康を害したことも言い訳になっているのだ。
アカンですなぁ。
逃げ回っているのである。
すべてから。
かつてボキはこんなふうではなかった。バイクに乗ってガッツと健康を絵に描いたようなセーネンであったのだ。マジに。
あらゆることにチャレンジしていた。
作家の丸山健二に学んだことが多かった。組織に依存しない、自立して生きるセーネンをマジに目指していたのである。
だから、ボキは世間を上手に渡ることが苦手であった。今もそうである。ゴマすり根性がまったくない。こういうのだから、研究者や学問の世界で「も」失敗したのだ。もっとも、ボキの能力じゃぁ最初から無理だったけどねぇ。
大学の学部を卒業したときも(半世紀近く過去のことになる)、大学院修士に進学したいと申し上げたら、即答された。成績不良で進学できないと。あれからボキは就職して職業人としてがんばろうと思ってやってきたのである。
そういう18歳から22歳までの思いがあるから、定年後に大学院に入ったのである。
勉強不足である。だからである。やってみたかったことをやらないというのは、死んでも死にきれない。
ジジイのせめてもの「迷い」である。
これがである。ジジイになって眉目秀麗なる美女に血迷っているよりはいいではないか。そんなもんに血迷って晩節を汚すこともない。
日頃からの鍛錬修練である。中国語も。
それを昨日は中国人講師の眉目秀麗なる美女に教えていただいたよん。
ありがたいことである。
感謝である。
実力があるかどうか。その一点である。語学は。しかも、話せるか話せないかというように評価ははっきりしている。
ボキは話せない。
だからまだまだなのである。
*
今日は、新しいKindleが来る。Amazonから。
Micro sdでデータも保存できる新型である。それでまた勉強である。語学も、民俗学も、俳句も、郷土史も。
やることは多いからなぁ~~~~。
さ、また新しい一日が始まる。
Bye-bye!