今日の記事はまったくの私的世界。九十九里浜で孫と戯れている風景である
毎日あまりにも暇だ、暇だとばかり言っているので、ボキにいろいろなことを押しつけてくる方がいる。困ったもんである。そんなに暇ならこんなつまらん仕事でもやってくれないかというわけである。全部断っているけど。
今、趣味でやっているアルバイトが楽しくしょうがないから、やる気もなければ、やる時間も余っていない。否、やる時間はあるのだが、そんなもんをやっていたらまたビョーキになっちまうからである。机にしがみついて一生懸命やってしまうだろうから。ボキの場合。
しかしである。
退職して世の中から見捨てられたとは言っても、退職後あまりに忙しいとかということでもいかがなものかとは思う。
まるっきり仕事中毒人間みたいで、守銭奴みたいで、末路が哀れである。ゼニゼニゼニで生涯終わったのかということでも、さみしい。
生きる上での生きがいというのは、それこそ些末な仕事だった・仕事しかなかったのかというのではねぇ・・・・。
他にやることがなかったのかということになる。
家族もあるし、大切なものは他にもいくらでもあるからである。
そういう意味ではボキは、私的な世界を大切にする人間なんだろう。むろん公的な世界も大切にしてきた。Complianceということでは、自分に対して・他人に対して厳しく律してきた。
しかしである。
それでもなおかつ私的な世界「も」大切にしていきたい。そうである。ボキは100%死ぬからである。死ぬことというのは、100%私的な世界であるからだ。
自分一人で死んでいくからである。道連れは良く無い。あの世紀の愚作「失楽園」(渡辺淳一)のようなバカバカしい心中事件のような可能性は、ボキに限ってまったくない。あるわけない。ちなみに「失楽園」は、ボキの書庫にあるゴミ箱に直行した。投げ捨てた。あまりのバカバカしさに。ボキのゴミ論文よりもヒドイと思ったから。
わははっははははっはははっははっはは。
*
というわけで今日の記事は、まったくの私的世界。
九十九里浜で孫と戯れている風景である。
孫は海が珍しいのであろう。
最初は怖がっていたが、だんだん慣れてきた。しまいには、帰りたくないとまで言っていた。
さらにカニが浜辺を歩いていた。
これまた珍しいのであろう。
こういう体験をしながら、大きくなっていくのである。いいこっちゃ。実にいいこっちゃ。
この数日、知人の土地の処分や墓の始末等々で世俗にまみれたことをさせていただいていた。そういことでは、ボキ、いろいろと使えそうな知識を持っているからで。
こんなことしか世間様のお役にたつことはできないからだが。
ま、いいか。
そういうことでなにかのためになるんだったら。
たまにはである。
昨日の夜も塾のアルバイトをやっていたので、けふは若干疲れた。昼寝しても足りない。睡眠時間が。
もっともアレですな。
寝ながらKindleで落語を聞いているからですかなぁ~。
(^_^)
Bye-bye!