小池百合子都知事の誕生は実におもしろかった。
なぜなら、女性知事の誕生だったからである。男社会というか、魑魅魍魎のお化けのようなジジイたちに囲まれて苦労されるだろうなぁと思ったからでもある。そういう妖怪の世界でどうやっていかれるかということでもある。
結論からいうと、現代の天照大神である。女性神のようなものである。さぁ~と太陽がさしてきたような気がしたからでもある。
女性の社会進出が盛んに説かれる。大賛成である
そもそも、「大年増で厚化粧の・・・」と評した男がいたが(選挙期間中)、それこそ男の身勝手、どこまでいっても女性にある種の押しつけがましい固定観念からきているくだらない発言であったと思う。
年増だろうが、ギャルだろうが、そんなもんは関係ないのである。化粧が厚いか、薄いかもである。
問題は中身である。内容がなければ、男だって女だって仕事はできない。見た目ではないのである。ボキも見た目が悪いからいろいろと苦労してきたから、そういうことでは体験上おおいに理解できる。
ボキは、時々拙ブログで「おバカキャラのミニスカオネーチャン」と揶揄するが、あれは酒場で騙されて呑んできたボキ自身の後悔の念である。そこから来ているのである。ボキ自身がバカだったから騙されてきたのである。
でもそれを差し置いても、これだけは言える。つまり、あまりにも自分自身を女であることを意識し過ぎている女性を揶揄したのである。女性的魅力なんてぇのはそんなのにはナイはずである。ミニスカートをはいたからと言って、魅力的になるはずもナイではないか。
むろんこんなのは男性もいる。「おバカキャラの、ステテコおっさん(おじいーさん)」である。
精神的に去勢されてしまった組織人の男性に多い。冒険心の欠片もない、オノレの立身出世のみ考えている男性である。
だから、お互いに批判したりはできない筈である。組織人としてのオノレの魅力は、能力にあると勘違いしているバカのことである。あるいは学歴しか自慢できるものがないというヤカラである。
「捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」なのである。
いっさいを捨ててしまって、身軽に生きることである。
小池百合子都知事もまた、崖から飛び降りて、捨ててしまったからこそ当選したのではないのか。一人で妖怪・魑魅魍魎たちに立ち向かうというスタイルに共感したのではないのかと感じる。もっとも、ボキだけかもしれないが。それが演出だとしても、見事なもんであったと思う。
これからである、問題は。
これからどう実践をしていかれるかということである。
都民ではないのだが、関心がある。女性の活躍というその一点において。
*
けふは、これから古文書講座である。
タノシミ、タノシミ。
夜は中国語講座である。
こっちもタノシミ、タノシミ。
ミンナ趣味であるから。
そしてボキ自身で選らんだ道である。
そうなのである。
ボキは自分で考えて、自分で趣味の世界を生きているのだから。つまり「去勢」されていないからである。
わははっはははっはははっはははっはは。
Bye-bye!
女子高校生未来会議|女性がもっと活躍する社会を目指したい!|High School Girl Future Meeting