と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

自分を受け入れる方法【精神科医・樺沢紫苑】

2019年07月03日 21時52分04秒 | とーま君の流儀2019

自分を受け入れる方法【精神科医・樺沢紫苑】

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モノにならないと焦るこたぁないのだ。死ぬまで教えていただいていれば良し。教える側にはたたないこったなぁ(^0^)

2019年07月03日 06時26分15秒 | とーま君の流儀2019
焦ることはない。焦るのは、目標値が高すぎるからだ。今の自分が許せないとか、もっとすごい生活を送りたいとか、大金持ちになりたいとか・・・いろいろあるだろう。どっちにしても、現在の自分が高い目標値と一致していないということなのだ。

たとえば、英語をぺらぺら話したいと思っていて、毎日NHKのラジオ講座を聴いていてもできない。つまりボキのことである。目標値と一致していない。海外に行ってもなかなかできない。チャレンジはしてみる。でも、ついつい言いよどんでしまう。なぜか。他人の評価を気にしてしまうからだ。できない自分を見せたくないというやつだ。

でも、そんなの笑い話である。努力と成果は一致しないからだ。好きでやっていれば良いだけの話である。しかも、ボキはジジイである。成果は求められていないのだ。そこのところがわかっていないと、ジジイになってからトラブル。

できないものはできないではないか。

気にしないことである。しかし、ヒトに教えるとなると話は別である。塾や、大学、高校で教えているが、これはマジメにやらないと相手に失礼である。だからノートをまめにとる。こいつは良い。惚け防止になるからだ。

そんな程度のレベルである。とくに、小学生に算数を教えるのはタノシイ。タノシイが、なぜそうなるのかという疑問にはなかなか困難である。解き方を教えているけど、わかってもらうのが難しいのである。

うなってしまう。

大学や高校もそうだ。わかってもらうのが難しいのである。解き方ではないからである。だから動画を使ったり、いろんなテクニックを駆使しているのだ。でも、それもそろそろおしめぇだろうなぁ。バイト定年というのがあるらしいから。大学の方はそれに引っかかって、今年限りでおさらばであるし。

教えていただくのには、定年がない。いつまでも出来る。死ぬまでだ。

そうか。そうなんだ。定年のない、死ぬまでできることをやっていれば良いのだ。

つまり「生涯学習ごっこ」である。

うううううううううううううううううううううううううううむ。

良いことを思いついたものだ(^0^)。

これから古文書講座に行ってくるけど。

夜は中国語講座。

モノにならなくても良し。

悟ったねぇ。

わはははっはははっはははっははっはははっはははっははははっはは。


BYE-BYE!
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/