ボキは、花のことがよくわからないまま過ごしてきてしまった。家人は大好きである。ボキンチの狭い庭にたくさんの花が咲き誇っている。たった30坪しかない庭である。そこに、季節それぞれの花が一年中絶えることがない。現役生活を送っているときには、あまり関心がなかった。余裕がなかったのだろう。アホな生活を送っていたものである。
クビになりたくなかったからだなぁと思う。ま、それはそれで十分満足していた結果である。なぜなら定年退職まで無事に生きてしまったからだ。要するに、クビにならなかったからだ。むろん順風満帆とはいかなかったけど。いろいろ問題はあったからだ。具体的には書けない。書くつもりもない。墓場まで持っていくしかない。ただし、記録と記憶はある。やるつもりなら、いつでもできる。
わははっははっはははっははっははっははっははっはははっはは。
そんなアホなジジイ生活を送っていると、花に笑われてしまうですなぁ。花は、関係ないからである。そんなアホな生活でも。しかも、花は全体を見ることに価値があるのではなくて、たった一輪の花に価値があるのだと思うのだ。庭全体に花がある。確かにある。しかも尋常でない数である。それほど家人は花が好きなのである。
たった一輪の花が密かに伝えてくるもの、それが見えないとアカンと最近はシミジミ思うようになった。定年退職してから初めて見えた風景であった。
ボキの住んでいる九十九里浜は温暖で、夏も暑くない。つまり、人間にとっても草花にとっても住みやすい。それが長生きできるコツなんだろう。事実、ボキの居住地には100歳を超えた方々が多いのである。ボキの最初に勤務した学校の校長先生も元気である。しかも100歳をとっくに超えている。最近お会いした。車いすには座っていたが、お元気であった。たばこもすっているのだ。さらに酒も焼酎である。今でも実に元気なのだ。
まさに、元気な一輪の花である。美しいとは言わない。元気で、ちょっとトゲのある超高齢者である。ボキもああなりたい。元気で、酒もたばこも遠慮しない超高齢者になりたい。
その校長先生にはずいぶん叱られたから、ホンマに記憶に残る大先生である。マジにである。アホな、ダメ青年教師をまともにしていただいたのだから。
こんな風に生かされてきたのじゃよん、ボキは。まともにしていただいたのだ。ありがたい限りである。まことにありがたい。
なんだか、庭の花が一輪だけせせら笑っているような気もしたが。だからこそ、一輪の花をじっと見つめる時も大事なんだなぁと思った。
BYE-BYE!