ど~~~~~~も生涯学習とか、老人になってからの生き方とはなにかとか、世間はウルサイですなぁ。生き甲斐を持ってイキイキと過ごさなければならないとか、目標を持てとか、目的を持てとか、挙げ句の果てには成果もあげようとやっているのがたくさんいる。ブログにもそうやって書いている御仁もいるのだ。どっか間違っていませんか?と申し上げたいのだが。
そんなもん現役時代に捨ててしまったから、今があるのではないのか。
だから、生涯学習というのは危険な部分もあるのである。成果とか、目標とか、目的とか始まってしまう可能性があるからだ。楽しければいいのだ。そんなもん。なにかになろうとするから、苦しくなる。苦しくなるほどやらきゃいいのだ。修行をしているのではないからだ。タノシミで十分である。タノシミ。
ジジイになっても勉強したいというのはそれはそれで良い。問題はこだわらないことである。そのところが、ボキは間違っていたのじゃ(^0^)。
おおいなる勘違いってやつだった。テメェの能力を間違って解釈していたのだよん。アホでしたなぁ。
その挙げ句が病気になって中退であった。三年もやっちまった。大学院博士課程をである。
墜ちるところまで墜ちたのである。しかし、よく考えてみると最初から低レベルにあったのだから、上から墜ちたのではなかった。「横に墜ちた」のであった。大笑いである。左から右に横滑りに墜ちたのだった。
情けないけど、それでもってボキは「うつ」になることはなかったのだ。そういうふうに解釈したのである。中退をである。それでもって立ち直ったのである。それに、ICUのベッドでしみじみ感じたけど、生きていてこその生涯学習だったなぁということであった。死んじまったら、生涯学習もクソもないではないか。
こういうボキのことを、落伍者というならそれで結構である。生まれてからこの方ずっと落伍者であったのだから。上昇志向なんて、九十九里浜の砂粒ほどもない。横並びに墜ちたのだから。
それに、九十九里浜は南国である。暖かい。ヒトの心も暖かい。ボキのような天涯孤独のアホジジイでも生きていられる。ありがたいではないか。そして、じ~~~~~~~~っと潮騒でも見ながら、呼吸をしているだけでも年金が入ってくるのじゃ。
なんも焦る必要なんてないのである。
後は惚けない程度に、出稼ぎバイトをやりながら呼吸をしていれば良いだけの話じゃ。
まさに、「これでいいのだ!」である。
バカボンのパパである。
わははっはははははははははっははははっはははっはははっはははは。
BYE-BYE!