トップというのは、責任をとらなければならない。すべてのことにおいてである。知らなかったでは済まされない。ましてや、某お笑い芸能事務所の社長のように、「冗談だった」という一言でオシマイにしてはならない。
教師にもサラリーマン教師というのがいた。今は少ないだろう。時間から時間まで適当に仕事をして、給料だけは貰うというタイプである。もっとも、こんなのは民間会社でもいるだろう。適当に仕事をして、あとは趣味に生きるとか他のアルバイトに精を出すというタイプである。もっとも、教師の場合は兼業禁止であるから、アルバイトはできない。ましてや、ボキのように9つもやっていたら完全につかまる。
校長にもいるのだろうか。サラリーマン校長というのが。いない。絶対にいない。なぜなら、いつでもクビになるからである。毎日が、針のむしろに座っているようなものだ。責任をとる、とらされる存在だからである。だから、必然的にクチうるさくなる。
そういう校長を忌避する教師も多い。当然だろう。クチやかましいからだ。すべてが、法規にのっとって展開しているのが学校だからだ。それだけ責任も大きい。ミスをしてはならない。あくまでも、順調でなければならない。平穏無事に学校の授業が展開して当たり前の世界であるからだ。
しかしである。時としてそういう平穏無事の学校の調和を乱すものが出る。不祥事である。マスコミのかっこうの餌食になる。なにを考えているのだろうかと情けなくなる。
ところがである。校長の中には、責任をとりたくないからだろうが、右往左往するのがいる。決断できないのである。ある決断をすれば、こっちからは責められる、あっちからも責められるという状況に耐えられないのである。全員が賞賛してくれる組織なんてあるわけない。そういうことも想定内にしておかなければならないのである。
トップリーダーの言ったとおりにかしこまって、全員が唯々諾々と従うのが学校では無い。このあたりは、マスコミも世の中の方々も誤解しているではないのか。
やる気にさせるのが、トップリーダーである校長の一番の責務である。そのためにどうすれば良いのかということを、現役時代には毎日考えていなくちゃならない。
少なくとも、逃げちゃならない。保身に走り、責任だけはとりたくないって逃げ回っていたら、笑われてしまう。
武士の社会と一緒である。武士の情けというのがあって、切腹しなくちゃならないときはやるしかないのである。その覚悟を持っているかということが、一番問われるのである。
校長の覚悟というのはそういうことである。
BYE-BYE!