SnowFlower/Hayley Westenra 雪の華/ヘイリー
Hayley Westenra - Haru Yo Koi (春よ,来い)
Hayley Westenra - Flower will Bloom (花は咲く)
ヘイリー ウェステンラ - 涙そうそう【HD】Hayley Westenra - Nada SouSou
新聞に記者からのインタビューが載っていた。東日本大震災のときに、あれほどの悲劇を目の前にすると、小説はなにが出来るのですか?という問いであった。むろんインタビューされたのは小説家である。
ある若い小説家は、小説の無力さを感じると答えた。
ところが、ベテランの伊集院静はこう答えたという。
「一番目は水と食料。二番目は正確な情報。三番目はなんだったと思いますか? 被災者の人々は”歌”が欲しいと言ったのです」
「”歌”は言葉です。私は言葉の力を信じます。小説は作家が選び抜いた多くの言葉で成立しています。小説は人の人生をかえるなんてことはできません。しかし人の哀しみには寄りそえると信じているんです」(『伊集院静の流儀』文春文庫)
刺激的な文章であった。確かにそうだった。居住地でもあの大震災で16名の方々が亡くなった。津波が来たのである。その時の動画も持っている。そして、あの辛かった体験を語り伝えようということで、高橋順子文学賞という企画が立ち上がり、ボキはその審査員をさせていただいている。旭いいおか文芸賞という企画である。もう、これで4年目になる。そして思ったことがある。それは、被災された方々が、伊集院静の言うようにこころの中に「歌」を持っているのだということだった。
それが思わずクチをついて出てきたときに、「寄り添うことができる」のである。
寄り添うということは、重要なことである。ボキは、神を信じることができないが、少なくとも寄り添っていてくださる絶対者のようなものを感じることはできるからだ。遠藤周作も、イエス・キリストのことを寄り添ってくださる方とどっかで書いていた。人生の同伴者というような形である。
九十九里浜には、刑部岬という風光明媚な場所がある。高台に灯台もある。そこから九十九里浜の突端まで見える。夕方の晴れた日に、この高台から見る九十九里浜の光景は実に美しい。この美しい風景の真下で、津波の悲劇は起きたのであった。高台に逃げてきた地元の方々が、押し寄せてくる津波を動画に撮ってYoutubeにアップしたのである。
恐ろしい光景であった。
梅雨が長く、なかなか九十九里浜にも夏が来なかった。海開きをしたものの、お客さんが来ない。しかし、この三日ほど前から晴れてきた。ようやく夏本番である。一昨日、被害にあった旧飯岡町で花火大会があった。大勢の観光客が来た。
歌があった。歌が我々を導いてくださっている。寄り添ってくださっている。
こんなことを、来年の3月に千葉市民会館で講演するつもりである。つもりではないですな。もう予定として発表されているから、パワーポイントの準備を始めているけど。
BYE-BYE!