受け狙いの生き方が一番とは限らない
安倍総理の奥様である女性は、いろいろと調べると他人の役に立とうとしておられるお方のようである。お子様がおられなかったからスピリチュアルなものに惹かれていったとも書いてある資料があった。それはさておき、自分探しの旅もしていたのだろうという資料もあった。神様が世のため、人のために役に立つようにと計らってくださったという思考スタイルの持ち主であったとする資料もあった。ともかく宗教的なものが好きだったという指摘は間違いないだろうと思う。
ともかく非常に興味のある御人格のようである。ボキも似たような性格をもっているからだ。家に閉じこもっていることができないし、こんな俺でも役に立ってみたいというのがあるからだ。なにかしら世の中と関わりあって生き生きと過ごしていきたいと実際思っているし。
無用であることが耐えられないのである。年金暮らしだから、おとしなしくしていれば飯だけは食える。それでも朝からずっと読書したり、レポートを書いているだけの日々を送ることができない。
いろんな人間たちと会って、たわいもないダジャレを飛ばして喜んでいる。昼寝は、いつもYouTubeを聞いて寝ているし。最近は落語だけ聞いている。桂文枝が好きになっている。
会話にユーモアがなくちゃいけないとすら思っている。つまり受け狙いである。どっだけ他人を喜ばせることができるかということに興味がある。
しかし、待てよと思った。今月で、約一年になるあるアルバイトのことである。営業である。これがけっこうトラブルがあって嫌になることもあった。週に一回だけやっていたのだが、どうもボキは個人的な部分を表に出し過ぎたと反省しているのだ。自分専用の個人名刺を作っていたし、アポをとるにしても***の***という役職についている***ですという言い方をしていた。こりゃアカンですな。ようやく気が付いた。会ってくださる方は、ボキの肩書なんかどうでも良いのである。関係ないでしょ!と言われたらそれでおしまい。
どっかでこだわっていたのである。会っている人は、全部ボキより年少者である。組織のトップでもずいぶんの年少者である。それに、ボキは定年退職してからある大学で非常勤講師をしていたからどっかで慢心がある。教育の専門家だと思っていた節がある。こりゃアカン。そんなもん捨てるこった。ボキを知っている方なら一緒に出されたお茶でものむけど、そうでなければ帰るこった。
冷酷な人間関係というのも捨てたもんじゃないということである。
人さまざまであるから。
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