阿字観を知る
死に方の学習のために生涯学習ごっこをやっているだけなんだけど
学校教育(主として大学)に資格取得とか・就職率とか・進学率を求められるようになったのは、いつからか。そんなことは知らない。成果主義とか世間では流行しているからかもしれない。そもそも学校というものに目的があって入学するのであろうかという疑問が長い間消えないからである。しっかりとした目的があって、***になりたいから入学するというのは、ちょっとだけ疑問があるからである。
教養のために学ぶというのがいけないような雰囲気になっているではないか。そうだとするとボキのように生涯学習ごっこのためにやっているジジイは変人だということになっちまう。
ボケ防止のためにいろいろと手を出しているだけであるから。成果もへったくれもない。今、在学している大学院を卒業できたら今度は料理学校に行きたい。理由はある。家人に「私が死んだらあんたは生きていけない」と言われているからである。掃除はできる。見様見真似でやっているから。全部共通している。それは「どうやって死んでいくか」というボキの課題のためである。最後までうまいもんを食って、きれいに掃除された家で過ごしたいからだ。それから死にたいからだ(笑)。
見本がある。高野山の宿坊である。あそこはうまいもんが食える。さらにきれいに掃除が行き届いている。うまいものどころか、酒まで出てくる。一条院という宿坊が好きだ。この宿坊は料理の本まで出しておられるから。風呂もきれいだ。トイレもきれいだ。全部行き届いている。酒も旨い。あんな天国のような宿坊はない。
永平寺も好きだったが、高野山に行ってからはまったく評価が変わってしまった。修業で行っているわけではない。好きだからである。旅がである。それだけの話である。
と、ここまで書いてトイレのことにハタと気が付いた。トイレのきれいでない会社とか・学校とか・家庭というのは、隆盛しないと思っているからだ。車の販売会社に行ってもトイレの汚い会社は売れない。学校もそうだ。トイレの汚い学校は受験生が少なくなっちまう。家庭もそうだ。トイレにカビが生えているようでは繁栄しないのだ。
見えていない部分にも気配りができてこそである。人のこたぁ言えないがねぇ。料理とか家事一般を教えてくださる大学とか大学院ってないのかねぇ。できれば通信で。おっと、あれか。実習なしにはできないか。そういう学問は。そうだとすると、コロナ下の大学と一緒だなぁ。
結局進むべき道なしというわけだ。
😞