マイナス思考を治す方法【精神科医・樺沢紫苑】
世の中はどうでもいいことばかりなり
毎日毎日暑かった。まったく暑かった。でも、今朝あたりから海から風が吹いてきた。ようやく過ごしやすくなった。これで秋を楽しむことができる。新しくしたスマホも順調に動いているし。これ良い。どれだけ電話しても月に1000円払ってあれば、電話代がかからない。バイトを7つもやっていると、それなりに電話連絡をしなくちゃアカンからである。社会人としてこれは欠かせないこったよん。出鱈目だけはやらないようにしているから、けっこう常識人でもあるので(笑)。
それにしても社会的にそれなりの高ポジュションにある、あった方々の発言というのにはあきれている。日本人の悪い癖だが、結論を先に言わない。グダグダと周囲のことから発言を始めて、最後に結論を言う。ある会で二年間会費を滞納しているからと言われたので払ったが、総会もやっていないし研究誌も出ていないから会費を返せと言ってきた御仁がいる。そういうことを言いたいのに、周辺の事情を指摘して得意がっている。コロナでなんにもできないと言ってもわからないのだ。そんなに銭が欲しいのなら、やってやろうじゃないかとなっちまうではないか。要するに、専門家でもなんでもないのに、自称専門家ぶってみたいだけなのである。
確かに、ボキは民間人である。民間だから追い払われるのであろうか。これまた笑っちまう。官尊民卑といっても、たいしたことはねぇじゃんかと言いたくなる。官の方のレベルがである。
昔、山形の山村で田舎教師をしてほしいと死んだ両親に言われたときに、ボキは死ぬほど悩んだからである。まるで隠者ではないか。18歳の若者がそれで満足できるかと真剣に思ったからだ。世を捨てて生きるということがどういうことなのかと勉強を始めてしまったのだ。それで人生を誤ったのだ。今、念願かなって仏教学の修士課程で勉強させていただいているきっかけとなったから感謝しているのだけど。
今では、その山形県には新幹線で二時間で行ける。東京からである。ボキの住んでいる九十九里浜も東京から二時間かかる。つまり、条件的には同じになったのだ。これまた笑っちまう。結局どっちにいても隠者であったのだ。変わっていないのである。ボキの故郷はずいぶんな田舎だと思っていた。温泉町で赤湯温泉という。旅館が19軒。湯煙のたつすてきなところだ。それが、九十九里とたいして変わらない時間的距離になってしまった。
昔は偉かった大学教授も同じだ。これだけ大学が乱立されていると、もう偉くもなんともない。大学教授と言っても千差万別。いろいろいるのを大学院遍歴を始めてからよ~~~くわかった。レベル的にである。世間を渡るのが上手だから教授になれたと堂々と言っていたアホも某国立大学にいたっけ。真に実力があるのは一握りであるから。
ボキの師匠だけ。
どうでも良いようなことである。ともかく世の中にはどうでも良いことが多すぎる。さ、昼寝して体をいたわろう。
わははっはははっははっははっはははっはははっははっはっはははは。