嫌な人とのコミュニケーション、悩み、ストレス、緊張、あらゆる問題を解決する方法!8分で学ぶ『反応しない練習』
「楽」「快」というようなことを自分で自分に禁止していた。信じられないだろうが、ボキはそういう禁欲主義的な傾向があった。あったと書くのは、今はそうでは無いからだ。
基本的にはラクして生きていきたいし、気持ちのよいことには手を出していきたい。酒もうまいし、おなごにももてたい、ゼニも嫌になるほど手元にあった方がいいのは当然のことである。いいんだ、いいんだ、満足していれば良いと思うようになっている。
表向きの体裁なんぞまったく考えなくてもよいようになってきたからだ。だから、ボキのことを「元*****」とか紹介されるとむかつくのである。マジに。今、何をやっているのかが大事であるからだ。と、言ってもなにも他人に誇るべきものを持ち合わせていないがねぇ。。。。ホコリしか無いからだ。
わはっははっははっははっははっははっはははっははっは。
自己否定からはなんも産まれない。およそ生産的では無い。世の中の隅っこでも良いから、社会のためになるようなことを人知れずやっていればいいのである。ゴミ拾いもすてきなことだ。ただし、自己アピールはしないことだ。ゴミを拾っていますとハタ持ってやっていたらそりゃアカン。
だから、目標というのはある意味危険性があるのだ。こうなりたいと背伸びすることがである。ムリにやっちゃいかん。自然に、力まず、ふわ~~~~~っと生きていればいいのだよん。
今回、九十九里浜の歴史書にかなりの部分を執筆させていただいた。それもボキの目標だったわけではない。知らないうちに原稿依頼が来たから、たのまれごとは応じるというボキのポリシーでやっただけに過ぎない。そして、執筆者として肩書きを書けと出版社から言われた。(*_*) マイッタ。
最初、本当にやっている歴史の会の肩書きを書いた。そして校正で訂正した。それは文化財審議委員というものであった。ボキより10歳上の先輩がそう書いていたから訂正した。みっともないではないか。ボキのようなガキが、居住地の先輩より上位の肩書きを名乗っていたら。
いろんなことが勉強になっているのだなぁと思う。
アホだからそういうご指導がいただけるのである。
感謝感激雨あられである。
BYE-BYE!