母のうた / 吉田山田【MUSIC VIDEO】
綾人サロンが運送会社に入って 一番つらかったこと【運送業界の闇】
日頃は暑い九十九里浜も今朝はなんとういう過ごしやすさよ。感動してしまった。ダンダンと過ごしやすくなって、コロナも収まればいい。それを願っている。仕事はしていないが、バイトはやっているからいろいろ気になるし。しかも七種類だ。これは社会的なつながりがあるからやっているだけ。定年前の仕事とはまったく関係ないからやってられる。
唯一気をつけていることがある。それは「過去を語らない」ということである。あるいは、「ニュートラル」な人間関係を構築していくということである。どうしてもオレを大事にしてほしいというのが潜在意識であるからだ。定年前には、***のポジュションにいたからクチのきき方を注意せよとなっちまうからである。相手が新しいほどそうなっちまうのだから、始末に負えない。オレもバカだなぁと思うからである。
要するに拘っているのだ。定年前に。
そんなもん「捨てよ、捨ててしまえ」と思うと気が楽になる。バイト代は、現在のボキに支払われているのであって、成果もへったくれもないではないか。
わかっちゃいねぇのである。経験もへったくれもない。バイトだから、いつやめてもいい。永久にはできない。臨時である。だったら濃厚な人間関係なんか構築しなくてもよいのだったよん。
認められていないという不満も不要である。ジジイなのに、これからバイトの世界で認められてどうするんだい?って常に問わないとアカン。そんなもん、オレには要らないではないか。勘違いしちゃアカン。
あくまでニュートラルに生きていかなくちゃいけない。自分は自分、アンタはアンタであるからだ。アンタのために生きているわけではないからだ。たまにふれあいがあればそれでよし。人間関係なんてそんなもんだからだ。そして、それ以上でもなければそれ以下でもないからだ。
いろんな人に気を遣って生きてきた。それが、今のボキの年金生活を作ってくれたのはまちがいない。でも、それはそれ。過去を否定して、「ニュートラルな後半生」を生きていきたいものであると思う。
昨日、別居している女児の孫に夕食のおかずを持っていってやった。家人と一緒に保育園から手をつないで帰ってきた。夕方だったので、「上がって」「お茶飲んでいって」と懇願されたが、ボキンチの風呂を沸かしていたので帰った。今日も行ってみる。上がって、お茶を飲むためである。それしかタノシミがないから。
わははっははっはっっっははっっっっははっはっはっは。