話下手が「話好き」になれるのか?【精神科医・樺沢紫苑】
「相撲のことを舐めている」と北の富士氏が評価していたが、これってボキのことを言われているような気がしてあっとなった。まさに、「舐めている」であった。ボキは生涯学習を舐めていた。通信制だから誰でも単位はとれると思っていたきらいがある。さらにバイトもである。誰でも出来ると思っていたきらいがある。それなりに代価をいただいているから、そんな甘いもんじゃなかったのだ。
で、今朝聞いていたラジオ英会話講座が、ボキの心境にぴったしだった。「君はもっと真面目に仕事に取り組むべきだよ」という英文があったのである。笑ってしまった。これって、オレのこったと思ったからだ。
You shoud take your job more seriouslyという一文があったのだ。
反省しなくちゃアカンですなぁ。
shouldは警告、提案になるらしい。もっとも強度の強い表現となると「must」となるらしいが。アドバイスにも「強度」があって、英単語は使い分けているのじゃよ。
今回のレポート不合格でかなりの強度をもって、警告されたということである。そこから這い上がってこそ、経験値が生きるというもんじゃよ。今更、賞賛されたいとはまったく思っていないが、長い間のサラリーマン生活で身にしみている行動基準になってしまっていることに気がついたからだ。浅ましいことである。うぬぼれていたのだ。どうだたいしたもんだろう?という自己主張になっているのだ。
まるっきりのアホだ。師匠はそういうところをボキに指摘してくださったのである。学ぶということはそういうことでもある。欠点を指摘してくださって、強制をともなった要求をされるからありがたいのである。
これをである、ノンベンダラリと過ごしていたら、ジジイになったのだからボキはもう完成してしまったのだと勘違いしてしまうのじゃよ。まるでアホだと思うのはそういうこった。
いつまでも完成はない。他人に指導することなんかできるわけもない。やっちゃいけない。隠れていることだ。可能ならば竹林の中に。
わははっははっはっはははっははっはははっははっはははっは。
けふは天気が良い。孫達が寝ていた布団を干す。それくらいしかやることないが。
BYE-BYE!