「アウトプットが追いつかない」の対処法』【精神科医・樺沢紫苑】
自慢の「慢」というのは病気である。心の病気である。
オレはエライ、正しい、優れている(はずだ)という心理状態である。慢というのは、一時的には自分を肯定するから気持ちは良いだろう。しかし、この慢との組み合わせには、「高慢」「傲慢」とかあって碌な単語がない。プライドが高いとか、優越感とかにも結びつく。結局、そういう状態にあると不満やうぬぼれの失敗がやってくる。
他人を出身高校とか出身大学で判断しないことだ。自分のことも他人のことも評価しちゃならない。判断してはならない。自意識が支配しているからそうなる。そんなもんから離反していれば、楽に生きられる。
劣等感も「慢」の出来損ないである。自分の価値にこだわるから、劣等感に悩むことになる。ミンナ、「自分の考えていることは正しい」と思っているから間違ってしまう。他人を批判し、いじけて劣等感を持ってしまう。
しかし、自分の考えが正しいか間違っているかは、いったいどのように判断しているのであろうか。誰が判断しているのであろうか。
所詮、人間の判断なんて「暇つぶし」でしかない。真実でもなければ、有益でもない。他人を****であると判断して、評価を下げていれば、そいつはオノレが気持ちいいだけのことでしかない。判断自体が気持ち良い、あるいは承認されているという自己満足だけでしかない。
「自分は正しい」というのは、そう判断してしまった時点で間違っているのである。オノレだけが正しい人で、他人は全部間違っていると思ってしまったそのときに奈落に落ちるのである。
ボキは、いろんな方から間違いを指摘される。そういう人間だからと判断(評価)されているからである。それはそれで仕方がない。誤解が多い人間だし、それなりの行動しかやってきていなかったからである。しかし、反撃はしない。むしろボキをそういうふうに判断している他人を憐れんでいるからだ。その程度しか、ボキのことを知らないのに、よくまぁ判断(評価)できるもんだなぁと思っているからである。
ガッコに行ってもそうだ。アポをとっているのに、「アポ取ってから来い」と怒鳴るのはいかがなもんかと思っていたが、あれは逆に哀れな人種であるとなっちまうではないか。そう気がついた。そしたら、無反応でいい。それだけの話である。スマホの録音を聞かせてもよし。「ほら、聞こえる?」と。
わははっははっっはっははっははっははっははっははっは。
BYE-BYE!