一人で遊ぶことも良いもんである
年をとったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから、年を取るのだ。
バーナードショーが言った言葉である。
しかし、年を取ったら、一人でも遊べるのがいい。ゴルフは仲間がいないとアカン。それに、自分だけヘタクソだったら、相手にされなくなる。あまり大勢で遊ぶのは、じじいになったらいろいろな意味で不可能である。
自分のペースで遊ぶには、一人遊びが一番いい。Wifeだって、嫌なときは、一緒に旅行も行ってくれないではないか。
好きな時に、好きな場所に行けるのは素晴らしい。
オレは、50代前半まで、大型オートバイでツーリングを楽しんでいたが、あれと一緒だ。一人で思い立って、秘湯に行く。民宿に泊まって、怪しまれる。
こんなことも良き思い出であったからである。
朝、新聞を読んでいて、「お!東庄の神社で相撲合宿をやっているのか」という記事を見つけたら、とりあえず行って見るんだよん。
どこでも、いつでもすぐ出かければいいんだ。
うまいものが喰いてぇと思ったら、どうせ金はwifeが出すのだから、誘うのである。
たまには、一人で美人のママが居るお店で、呑むのもいい。
しかしである。
一番恐れなくてはならないのが「行動力の衰え」である。これだけは間違いない。行動力が衰えてしまったら、なんの楽しみもなくなる。
オイラは、朝から晩まで原稿を書いていると思われがちであるが、それはそれでやってもいるし、認めるが、行動力だけはあるのである。
もっとも、打鍵するのも、手の行動力であるが。
わははっははっははは。
趣味に生きましょう
退職して生きがいが見つからない。
なにかやりたいが、やることが見つけられない。
ああああああああ、つらい。死にそうだ。
とーまの野郎みたいにやってみたいとか、言われる。
違うのだ。
生きがいなんてこれから自然と出来てくるのだ。なにか新しいことにチャレンジしたり、逆に平凡な毎日を送っていてもいいのである。間違っても、自分捜しの旅に出たいとか、とち狂って鬱病になっていたら話にならない。
オイラも時々言われる。
いいなぁ、生きがいがあってとか。
将来は大学教授を目指しているんですか?うらやましい、実に。我々もやってみたいってなことを。
まったく違いまっせ。マジに。
けっこう辛いのである。そもそもオイラ、大学を卒業できないかもしれないからである。論文を書くのにも試験があるんである。それをクリアしないと、書けないのだ。提出もできないのだ。知っているだろうけど、世の中そんなに甘くはないのだよん。マジに。
枚数は書いてある。しかし、問題は質である。学会への投稿でも、掲載していただいたこともあるが、ボツ体験もたくさんあるのだ。
そんなに甘くはねぇのだ。
自然に生きていたら、生きがいなんていくらでも出てくる。
キーワードは他人と比較しないことである。
マジに。
オレは、オレ。
女子プロレスラーもそう。民俗芸能と一緒なんである。相撲もそう。民俗芸能と一緒である。
だから、趣味に生きているのである。趣味が生きがいなんである。
自然に任せましょう。
自然体で生きましょう。
水の流れるごとく。
(^0^)
好奇心を忘れてはならない
若い頃の好奇心を忘れてはならない。
あの頃、オイラは何に関心があって、何をやろうとしていたんだろうかと思いをいたすことである。
なんだっていいではないか。
エレキギターだった、鉄道マニアだった、山登りだった、歴史が大好きだった・・といろいろあるだろう。それをリタイアしたら、もう一度やってみればいいだけのことである。人それぞれである。
なんにも恐れることはない。
映画女優を見てこころがときめいたらそれはそれでいいではないか。あるいは、美人の歌手のおっかけをやるとかでもいい。
オイラの場合は、好奇心がいくらでもあって、まったく退屈しないのだ。最近は、温泉以外にも、女子プロレスラーに興味を持っている。友の会に入って観戦にいくつもりである。近々。
笑って過ごせる好奇心があればこれにこしたことはない。
脇役人生を
じじいになったら、名脇役でありたいものである。
福田恒存の言葉に「生きる喜びとは、主役を演じることを意味しはしない」というのがあるが、主役を引き立て、こっちは引き下がることだ。
会話もそう。オイラより若い人をやっつけたって何も面白くはない。相手に70%しゃべらせて、こっちは30%位で充分である。気持ちよく話せればいいだけである。
年をとると、どうしても自分中心になってしまう。
そんなじじいの話なんか誰も聞きたくないのである。
現役時代に役職が上だった人ほど、自分が30%しか話さないというのは苦手なんだろうよん。
脇役をやりたくないのだ。上から目線がしみついているのだ。
リタイアしたからこそ、新しい友達をつくっていきいきと人生を過ごしたいもんである。
オイラのように。
わははっはっっはははは。
老後はジャンル別につきあうこと
気軽につきあえる友人というのも大切である。
「よお!どうした、生きていたか」というのがオイラの口癖であるが、これもまたいいものである。
うっとうしくなるくらいにつきあっていたのでは、息がつまる。ランチをとって、午後は芝居でも見て、また夜になったら居酒屋で一杯やるというのでは、恋人同士でもいかがなものか。
いい加減、帰ってよんと云われてしまうのがオチではないのか。そういうのはオイラには絶対にいないけど。(@^▽^@)
一人の友に多くを求めてはならないと思うのだ。
そんなに何でもかんでもできる友だちなんているわけもない。
だから積極的に、ジャンル別の友達を開拓していくことであると思う。お一人様のツアー旅行でもいいのだ。四国巡礼の旅とかお一人様で行ってみたい。さらに、落語や、観劇、能の鑑賞とか、コンサートの会とか、そういうのに参加すれば、新しい友達ができるというものである。
楽しみも増えると思うのだが。
とりあえずやってみれば、老後の生活は変わる
「とりあえずやってみよう」というのは、定年後の大切なキーワードのような気がする。退職したから、あまり外出することもなく、ただなんとなく毎日を過ごしていたって、そんな生活が面白いだろうか。一人でいるほうが面倒くさくないからいいというのもわかるような気がするが、程度問題であると思う。
生活にメリハリもなくなるし、おもしろみもない。老け込んでしまう。
友達を作ることである。自分から友達をつくる機会を失っていてはならないと思う。地域のイベントがあっても、隣近所から誘われても断っていたらもったいない。
「しない理由」を探さないことである。
「とりあえず」やってみることである。何にでも参加してみることである。そしたら良い人と出会えるかもしれないではないか。
参加してつまらなかったら辞めればいいだけである。
別のとりあえずを探していけばいいだけである。
うなるしかない無の境地
2014/09/21の産経新聞に茶道の千玄室先生の「一服どうぞ」が出ていた。
タイトルは「無の境涯と生きる努力」である。あいかわらず素晴らしい筆力である。40代後半に、京都に出かける用事があり、それは私費で教育に関する研究会に出席させていただいたのだったが、その会合に来てくださったのである。一流の方とはかねてお聞きしていたが、あっというまにファンにならせていただいた。
茶道をやっているわけではない。愚生如きが、そのようなハイレベルの趣味はできない。ただの庶民である。愚生は。貴族趣味をやっていると自分で言ったら嘲笑される。房総半島の片隅で貧に耐え、不名誉に耐え、ののしりに耐え、閑に耐え、じっと生きているだけのただのバカじじいでしかないからである。
いやぁ~そんな自虐ネタで言っているのではない。
思想的にかなわない方であるからである。かなわないというと、愚生ごときそんなことを言ったら叱られるですな。かなわない方というのはたくさんおられるから、いちいちその名はあげない。しかし、その中でも千玄室先生は一番である。
今日の新聞記事には、「それとなく生きる」ということが最初に書かれていた。オレが、オレがという自己主張ばかり激しくて、人間関係を壊しているような輩が多い昨今、注意したいことの一つである。そういう国民性の国もある。謙虚さのまるっきり無い国民性。人を小馬鹿にして、オノレの国ばかり優秀であるという輩。もっともあれか。日本だっているわなぁ~。オノレだけがうぬぼれている奴って。
千玄室先生は、この後の文章で「おごらぬさま」を言い表している。「わび住まい」のことであるというような表現をなされている。わびさびのことである。
「さび」は、「枯れ果てた中に芽生える自然の力を表し、何もかもそのもの一つにすがり生きようとする意でもある」とも書かれている。どん底、すなわち何もないところから生きようとするところに「わび」「さび」の哲学が生まれるとも。
「日本人の精神的な支柱は、こうした無の境涯と生きようとする努力が自然とともにあるのだろう」とも記されていた。
うなるしかない。
迷ってばかりいる愚生には、とてもとても実行不可能なことである。
てめぇのことばかり考えていて、師匠をはじめ、クラスメイトたち、あるいは新旧あわせたところの友人たち、wifeをはじめとする家族のみんな、郷土史の先生方・会員たち、柔道の仲間たち、中国語学習会のメンバーたち、非常勤講師をさせていただいている学習塾や大学の先生方や学生・生徒さんたち・・・・・いやぁ~実に多い。迷惑ばかりおかけしているよ。
こういう現実を改めなくちゃアカンですな。
やはり、悪党で、罪人で、人を喰っていてばかりで、うわべだけは謙虚で、うぬぼれやで、人一倍食欲が旺盛で、蛇でもなんでも喰っちまうという獣同様で、どうしようもないオノレを改めなくちゃアカンですな。
生涯学習というのも、ホントはその延長だったりして。
生涯学習というのは、ホントは、「生涯学習」ではなくて、「生涯」「学習」するっていうことである。
そうなのである。
一気に完成できないからである。
「生涯」「学習」するから、改められるのだなぁと思う。
改善、改善、また改善でありまするよん。
(;_;)/~~~
今年の施餓鬼法要を見て、鬼来迎を見て、それから映像撮影に入ったのであるが、鬼来迎のある場面では感動のあまり泣いてしまった。この鬼の如き悪相をしたオイラがである。賽の河原の場面である。毎年である。... goo.gl/NSwWHZ
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グラオーグラマーンは、その両方だと答える。―あなたが造ったから、それははじめからそこにあった。前後関係というのは、そこにはありません。そういう意味では、原因と結果の因果関係はそこにないのです。 『ものがたりの余白』
肉欲。自由な心の持ち主にとっては、無邪気で自由なもの、地上における楽園の幸福、一切の未来が現在に寄せる溢れるばかり感謝。-ツァラトゥストラ-
※E_Levinas_jpはボットです。レヴィナスの主要著作から抜粋した言葉をランダムに呟きます。一部字数の関係上要約した部分、また解釈込みで補填したものあります。呟く言葉については随時更新していきます。
今朝からずっとやっている。
手直しである。
それにしてもオイラは家族の理解があって、これ専門でやらしていただいている。まさに信仰と一緒で、専修修行者だな。ありがてぇものである。それと... goo.gl/7PG2SZ
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