要するに伝道師ではないからだ。
生涯学習ごっこに、熱心かつエネルギッシュに取り組んでいると言われることがある。それでエネルギッシュということに関して、ふと思い出したことがある。明るく、パワー全開で、バリバリと働くというのは、おおいにけっこうである。しかしである。その中に躁状態が隠されているということを聞いたことがあるからである。
作家に多い。有名なところでは、有吉佐和子さんがいる。北杜夫さんもそうだ。夏目漱石もそうだった。開高健もそうだった。チャーチルもそうだった。リンカーンもそうだった。ヘミングウエイもそうだった。江藤淳もそうだった。もっとあげることができるがこれくらいにしよう(ドクターの本にそう書かれていたので、そこからのぱくりであるけど)。
問題は、本人がそういうことを意識していないことにある。周囲が気をつけて見ていないと、結果的に悲惨なことになりかねない。
もっとも、こっちの分野「も」私はド素人であるから、これ以上は躁鬱病そのものについては書かない。
しかしである。
芸人が、テレビの画面の中でおもしろおかしくやっている漫談なりを見ていると、ついつい躁鬱を疑ってしまうのである。やたら明るく、やたら意味のない発言を繰り返している。これでもって高収入を得ているのだそうだから、うらやましいかぎりである。
しかし、アレは計算し尽くされた芸である。ネタがあるからだ。しかもネタは作っている、あるいは作られたものである。ここがキモである。どこでお客さんを笑わせようとかと計算されているわけである。
だから、あまりにもおもしろくて笑っている場合には、ついついやらされ感が漂ってしまうのである。
あ、オレも笑わされてしまったよーんということである。あああああああ、計算に乗せられてしまったということだ。
ま、どうでもいいようなことである。
おかしければ、笑えばいいことである。楽しかったら、楽しむことである。
ふうううむ、ここは笑わなくちゃならないと思う方が、いけない。なんにしても「~~~~しなければならない」という自己規制はよくない。
自由自在に生きればいいだけである。他人がどう思おうと、オレはオレ、ワタシはワタシ。それでいいのである。どれが正常で、どれが異常だとかそんなの境界はない。あるとすれば、それは精神科医が決めればいいだけである。
したがって、他人に自分の固定観念を押しつけることもないのである。
しかし、この自分の固定観念を押しつけるというのは良く無い。宗教関係者に多い。自分の信じている特定の宗教を、世界でもっともすばらしいと自己内部でもって、すでに決めつけているから布教活動ができるのである。
特定宗教を信じて、病気治しと称して死者を出してしまうのである。死んだ方がかわいそうである。昨日のテレビで、心霊療法でもって亡くなった7歳の坊やのことを報道していたが、まったくかわいそうでならなかった。
宗教で病気がなおるのなら、医学は要らない。もっとも、医学だって、100%死んじゃう人間の運命を変えることはできない。
癌の治療を拒否したり、そうすることを勧めているドクターも世間にはいる。書いた本が売れに売れている。はたしてそれでいいのであろうかと疑問に思うことがある。
あまりにも、病気のことを気にしてノイローゼになっていたら本末転倒である。病気は、クスリが治すのであって、それを早く発見して、治療方針を立てるのがドクターである。そう思っていないと、医学不信になってしまう。
所詮、医学にはド素人なのである。そういう謙虚さがないとうっかり病院にも行けなくなる。
病院の待合室にいると、患者で病気に実に詳しい方が散見されることがある。ご自分の病気について、ドクターよりも詳しいと自慢げに言われる方々である。あれはいけない。ご自分で勉強なさるのはいいことであろう。それはそれでおおいに結構なことである。しかしである。それを他人に言いふらしてはアカン。
間違った情報かもしれないではないか。
勉強した結果、納得できたのはオノレ自身であって、他人にまでそれを押しつけたらいけない。それだとまったく宗教と一緒である。自己内部でもって納得したから、神さんや仏さんを信じているだけであって、それが真理だとはとうてい思えないからである。
世の中には、宇宙を神さんが作ったと思える人と、そうではない人がいる。それだけは確かなことである。そもそも、宇宙のことだってよくわかっていないではないか。もっとわかっていないのが、私であるけれども。宇宙のことについて説明してくれと言われてもギャフンである。塾でも教えることはできないし、やる気もないし、そんなオファーもない。
要するに伝道師を気取ってはいけないということである。このことはオノレ自身に言い聞かせていることである。
拙ブログでもって、生涯学習のすばらしさとか、大学通信教育の良さとか悪さとかを取り上げていないのは、そういうことなのである。
むしろオノレ自身のことや失敗を、あるいは恥をさらして、今後の人生を修正するために書いているだけである。
そうなんですよん。
「恥さらし」のブログでございますんですよ~ん。
しょうもないジジイでございますから。
今日もヨルバイトの塾がある。
昨日の夜は、高校3年の女子が、某大学に行きたい、アナウンサーになりたいとコピー機の前で騒いでいたが、がんばればぁ~と大笑いして聞いていた。なぜか。その某大学というのは、私の長女が卒業した大学であったからである。
ま、なんにつけても無理はしないこってす。
さ、これから午前中のwalkingである。タノシミ、タノシミ。
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