今日は、老人大学に行って、生活圏に居住しているクラスメイトたちと一緒に2000円もする昼食を食べて、雑談してくる。タノシミだなぁ~。
今日は、久しぶりに老人大学に行く。二週間ぶりである。知人の奥様が亡くなられて、通夜・告別式に出席させていただいたのと、孫のところに遊びに行っていたから二週間連続して欠席していたのである。ま、致し方なし。そういうこともある。世間で長いこと生きていると。
それに、老人大学は成果を求められるということもない。試験もない。試験がないから、評価もない。気楽なもんである。自分でためになるお話をお聞きして、それから発展的に図書館に行ったりして学習していればいいのだから。
そうなのである。もう社会的には終わったのであるから。なんも焦って成果や学位取得にむけて勉強していることもない。後は、後進のためにあちこちでしゃべっていればいいだけである。
クチサキひとつでバイトやっているんだから、気楽なもんである。来年もバイトを三つ全部させていただけるようであるし、ありがたいものである。なにしろ時間が自由になるのが一番良い。
余った時間は、古女房ドノと一緒に湯治の旅に出る。ありもしない民俗学みたいな知識を元に、あちこちと歴史探訪もする。なによりのタノシミである。
歴史探訪というと、房総もそうだが、隣県の茨城もなかなかのものである。いろいろな歴史を物語る遺跡や、歴史博物館がたくさんあって、こちらも訪問がタノシミである。だから、関係文献を漁ることもまたまたタノシミなのである。
これでもって、「惚け防止」になるんだから、一挙両得である。そしてたまには、ゴミ論文を書いて悦に入っているのだからいい気なもんである。自己満足でしかないけどねぇ~。
オイラがやりたいからやっているだけである。なんの助平根性もない。認めてもらいたいとか、再就職したいとか、そんなもんはこれっぽちもない。
ナイナイノバァ~である。
わはははっはははっははっはっは。
もっともあれか。
なにを今更である。なにを今更認めてくれぇ~とか再就職させてくれぇ~って言っても、ダレも相手にしてくれない。あまつさえ友人・知人ですら呆れているんだからどうしようもない。
でもねぇ~、生涯学習ごっこというのはこれでいいんではないのかねと思うことがある。
昨日から、NHKの語学講座を録音ソフトで予約して録音している。さらにICレコーダーで聞きながらwalkingに行ったりしているが、これもまた自己満足でしかない。
基本的には、英語というのは読めなくてはならないと思っているので、会話は二の次である。英作文も毎日やっているのはそのためである。内容のない、デタラメ英語を話せるからと言って、それでもって語学をマスターしたとはとても言えないではないか。
日本にいる外国人とか、留学生が怪しげな日本語を使っていたって、内容のない日本語だとこっちが辟易するのと一緒である。ましてや、日本文学や日本の歴史、古典をやっていると言われるのなら、怪しげなことでもって専門家気取りをしてはならない。それこそ自称専門家であると言っているのもかつてたくさん私の周囲にはいたからである。そんなんじゃアカンですな。
もっとも内容がないと言ったら、ワタシャ、「内容のないチャンピオン」であるけどねぇ。他人のことは言えないですな。まったく、まったく。
だから、内容のない英語を使っているから、自称語学留学をした日本人女性が英語圏でイエローキャブとか言われてしまうのである。
内容があったら、語学が下手でも聞きにくる外国人は数多いらしいからだ。旅行英語で自己満足していたら、そりゃぁアカン。
どうでもいいような話ではある。
さて、今日から十二月である。
忙しいと言われる師走である。ところが、こっちはまったく忙しくない。当たり前である。忙しいというのは、心を亡ぼすと書く。
こっちのジジイは、心が亡んでいないからである。
逆にますます充実している。来年やらせていただくバイトでも、今から資料を準備しているのだ。しかも今月は、学校広報のことで論文まで投稿する予定である。「高等学校における生徒募集と学校広報」について、である。これ、大学の広報担当にも参考になるんではないのかと密かに思っているのだが。どうせダレにも相手にされないだろうから、黙って投稿するけど。
それでもって慶應義塾大学に注目して、この数年間資料を集めてきたからである。なぜ福澤諭吉が私学経営にあたって、あれだけの大成功をすることができたのかということは、私の現役時代から興味関心があったからである。
書きたいから書く。
それだけである。それだけ。投稿してもボツになる可能性は大いにある。それでもいいのである。なんでか。成果のために書いているのではないからだ。はっきり言えば、自己満足である。バイト先の大学とかで先生方には見ていただくが。
それだけの話である。
なにしろ、こっちは実に忙しくないのであるから。
師走は師匠が走るほど忙しいのだそうだが、こっちは「爺走」である。しかも走るだけの目的がない。理由もない。ないないだらけである。
せいぜい、今日の老人大学に行って、生活圏に居住しているクラスメイトたちと一緒に昼食を食べて、雑談してくるだけである。
あ、今日はしかも昼食はこの辺りでは一流の中華料理店で、みんなと一緒に食べるのだった。なにしろ、事前に昼食代として2000円前納しているからで。
それが終わったら、また市営のgymに行く。
楽しきことのみ多い。
ありがたいものである。
感謝!