しんまい
2007年10月16日(火)
10月12日(金)、小学校の同級生から「新米」を貰った。
ところで、慣れてない人のことも「しんまい」という。私は米の「新米」と慣れていない人に使う「しんまい」と同じ言葉を使うことに違和感を感じた。
広辞苑によると、「新米」とは①今年収穫した米、②「しんまえ」に同じ、となっている。
そこで、「しんまえ」を調べてみると、「新前」とあり、「あらたにそのことに従って未だ慣れない者」、とあった。
今年収穫した米という意味の「しんまい」が「あらたに未だ慣れない者」の「しんまい」とは明らかに関連性はない。
おそらく、「新前(しんまえ)」がだんだん訛ってきて「しんまい」になり、米の「新米」にもその意味が付くようになったのではなかろうか。
ところで、小学校の担任の先生が、えらく熱弁を奮ったことがあった。
「泊」と「晒」は逆になったのではないかと言うのだ。
「晒す」という意味には、「布などを水で洗い、日に当てて白くする」とある。象形文字的解釈をすれば、「泊」がぴったりだ。
一方、「泊」には宿をとること。とまることとなっており、これも先の解釈方法では、「晒」がぴったりのような気がする。日が西に沈むころになって、宿を取りとまる。
「宿晒」(しゅくはく)、「泊す」(さらす)が正解かどうかの真偽は分からない。
間違いがあるかどうか知らないが、先の「しんまい」のように言葉は変わりうるものだ。
一方、「新米」は米を食べることに慣れた人であろうと慣れていない人であろうと、「美味しい」。これは普遍的に変わらないだろう。
小学校の先生から話を聞いたのは1959年頃。
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