団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

阿蘇山

2008-08-12 17:42:38 | 
                   阿蘇山

                         2008年8月12日(火)作成

 阿蘇高原はもう秋だった。8月5日、広島を8時30分に出発し、南阿蘇にある休暇村南阿蘇に着いたのは15時丁度だった。妻、次男、長男の孫の一行4人だ。

 標高500mはあるのだろうか?この宿の水道水の水が冷たくて、チョー気持ち好い。味も好い。広島ではうるさいくらいの蝉も鳴いていない。赤トンボが飛んでいる。

 この休暇村には屋外プールが設置してある。孫が水泳教室に行っているので、この宿を選んだ。泳ぐのは一体何年ぶりが分からないほど、久しぶりの水泳だ。加齢な泳ぎになっていた。一方孫の方は、水を恐がることなく、泳ぐというより活発に身体を動かしていた。

 この宿からは、噴火口のある中岳を中心として、右に根子岳、高岳、左に杵島岳が見える。曇天で見晴らしはノーグー。

 夕食時、次男が孫の面倒を上手く見るのには驚いた。孫も、漫画の話などをし良くなついている。次男は結婚をしないのが問題だが、子どもの面倒はちゃんと見ることが出来るという新発見があった。

 翌日、噴火口へ行くつもりが、道を間違え、「地獄温泉」へ迷い込んだ。なにをもって「地獄」というのか知らないが、車で谷に突っ込んで、地獄に行かなくて良かった。

 阿蘇山の噴火口へは40年前頃行ったことがある。当時はシェルターとかはなかったように思う。噴火口跡の絶壁、その地層、水も草木もない荒涼とした様は、ここに自分以外いなければ、他の惑星に降り立ったような錯覚を覚えることだろう。

 夏休みということもあって、平日でも賑わっており、韓国からの観光客の一団もいた。そういえば、表示には必ず「ハングル」もある。
 韓国からの一団を見て、話は飛躍するが、竹島・独島問題は、両国人民の交流・融和により、最終的には決着が付くものと思わされた。

 草千里の雄大な光景を、牛と馬のドロッピングに気をつけながら、走り抜ける。ここの牛は車を全く恐がらない。車道を塞いで悠然としている。

 南阿蘇から阿蘇山の北側に移り、ここら当たりも、当然温泉の宝庫だ。高速道路に入るまでに、杖立温泉がある。妻が、「その昔、杖を突いて温泉に来た人が杖なしで温泉から帰れるようになったので「杖立温泉」と言うようになった。」とどこかで聞きかじったようなことを言っていた。

 中学校の修学旅行はこの温泉だったので、一度行って見たいと思っていた。杖立川の渓流で同級生と一晩語り尽くしたことを思い出す。彼は自分が好きだった娘が最近冷たくなったというような話を延々としていたっけ。
 今度、いつか泊まってみたい。

 広島に着いたのは、6日19時だった。

(燃費)二日間の走行距離は、高速道路主体で丁度900km。車載燃費計によると、初日15.0km/ℓ、二日目16.7km/ℓ。初日が悪いのは、次男が半分運転したためです。アクセルワークがラフ。二日目は私だけが運転しました。

(写真)阿蘇山の噴火口跡
コメント (2)
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