感染症と社会 目指すべきは「共存」
2020年3月13日(金)
長崎大学の山本太郎教授が、ウィルスとの「共生」「共存」を目指すべきと言っておられます。
11日の朝日新聞です。
ウィルスにとっては、「人間は大切な宿主。宿主の死は自らの死を意味する。病原体の方でも人間との共生を目指す方向に進化していくのです。」
これ、逆説的でありますなぁ。「逆説的」とは、「北風と太陽」の話のようなイメージであります。
私は、3月3日のブログで、次のように書きました。
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人類はウィルスとの戦いの歴史であると言い、中国の習近平主席は、ウィルスとの戦いは人民戦争だと言っています。戦争ではなくて、平和に共存する道があるのではないか? 地球からすれば、意味のない生命体ってないからであります。「お迎えウィルス」を謙虚に受け止めましょう。
以上、空想の世界であります。(ハハハッ)
私が言うと「空想」でありますが、科学者が言うと「空想」でなくなるのであります。
中でも、「病原体の方でも人間との共生を目指す方に進化」とは!最近似たような話を聞きました。
イスラエルの文化人類学者のユヴァル氏が言っていることであります。
「農耕」は繁栄の象徴として語られることが多かったように思うのですが、ユヴァル氏はこの思い込みに痛打を食らわせています。農耕民の生活レベルは狩猟採集民のものよりも満足度が低く、苦労して労働したほどの見返りを得られていないといいます。ホモ・サピエンスは小麦に家畜化された犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ『サピエンス全史』上p.107 しかし、総量だけが爆発的に増えた食料は、ホモ・サピエンスの総量も増やし、結果的に狩猟採集の社会には戻れなくなってしまいました。ユヴァル氏はいいます。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ『サピエンス全史』上p.107としています。
これ、いずれも、私には、人類の驕りに対する警鐘であるように感じます。どのような「驕り」か? 科学文明で何でも解決できると思い込む驕りであります。何故驕るのか?それは欲望を実現したいからであります。
ただ、欲望を完全に無くすことは、できません。ただ、それを最適化することはできると思うのです。それが真の文明だと思うのです。「最適化」とは、人類全体の「共存」「共生」であります。現代社会は、一部の特権層のみの「共存」「共生」であります。
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空想以上に訳分からなくなりました。(ハハハッ)
11日の朝日新聞です。
長々とコメントできませんが、この「我々が提出する法律の説明は、全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」ですが、これ、ウィルスに言ってもらいたいものですなぁ。→恐ろしくて言えないかしら・・。ウィルスは忖度しませんものね。(ハハハッ)
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