音楽の花束 2019.2.2
2019年2月5日(火)
2月2日、広島交響楽団の「音楽の花束」と称する演奏会へ行って参りました。
プログラムは、
①ダヴィット:トロンボーンのためのコンチェルティーノ変ホ長調作品4
②R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
③ラヴェル:ラ・ヴァルス
④ラヴェル:ボレロ
であります。特にボレロを聴いて見たかったんです。もっと言いますと、私ゃ、ボレロと展覧会の絵の組合せの演奏会であれば、大満足であります。
トロンボーンの音色って、金管楽器では出色と思います。ホルンやトランペットに近い音色を出すことができますし、ビリビリと空気を破るような音を出すのはトロンボーンだけです。スイングする音は、木管を含めてトロンボーンしかありません。
そのトロンボーンの技を見たような気がします。取り分け、ビリビリと楽器とは思えないような音はユーモラスにも思えました。ただ、曲そのものは退屈で、正直ウトウトいたしました。これは私の責任であります。
ラヴェルの管弦楽曲が2曲でした。管弦楽の魔術師と言われるだけに、音色の多彩さには圧倒されます。捻るような音とか、ベースがドドドという地響きを立てるような音とか興味が付きません。シュトラウスも管弦楽の音色は多彩ですが、ラヴェルと較べると可哀想であります。
ボレロですが、ドラムの音量の変化には感服いたしました。出だしの耳をそばだてなければ聞こえないようなピアニッシモからエンディングのホルテッシモまで、機械のような正確さでした。いや、機械以上に正確な人間の腕でありました。
数小節目から木管楽器が入るのですが、音が大きい! 楽譜を見たこともなく勿論読めない私が不遜でありますが、そう思ったのであります。ただ、帰って他の指揮者のボレロを聴いてみると木管楽器はピアニッシモではありません。ラヴェル先生には申し訳ないのですが、あそこの音はピアニッシモの方が良いですよ。ボレロって段々高揚していくところに特色がある訳ですから、。
しかし、多少の解釈の見解は兎も角として、堪能いたしましたです。ラ・ヴァルスも”collapse”の音楽であります。ピアノ曲もありどちらが原曲か知りませんが、いつか、萩原麻未のピアノで聴いて、ピアノが壊れるのではないかというスリリングなことがありました。
定期公演よりか少な目の編成でありました。
平和大橋を通っていくのですが、工事中であります。もう2年くらい経っています。一体何をしているのだろうかと思います。
歩道を造っています。完成間近であります。一つ気になることがありますが、自転車と歩行者を分離しているかどうかです。してなかったら、「アホちゃうか」であります。
原爆ドーム方面を望んでいます。木に隠れて見えません。
正面2階建ての建物がフェニックスホールです。半分程度地下のホールです。
資料館も工事中であります。
何やら人だかりがあります。
何やら手芸であります。
入口に下野マエストロがおられました。先日のfan感謝デーの感想を述べました。「ダニー・ケイの愉快な指揮者をご存知でしょうか?。」マエストロは「ズービン・メータの真似をするやつですね」。「先日のfan感謝デーではそれを思い出しました」。マエストロは「そこまではとてもとても」と謙遜しておられました。
このホールですが、響板を動かすようにしていて、何時も大概デッドにしているんです。何か奥に引っ込んだような音になるんですよね。
私の席からです。
団員の出方が最近変わりました。前はコンマスが最後に出て来ていましたが、最近は一斉に出るようになりました。
アンコールです。ボレロの後に威勢のよい曲のアンコールはチト気分に乗りませんです。
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