団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

ソーシャルディスタンス

2021-02-16 10:47:54 | 新型コロナウィルス

ソーシャルディスタンス

2021年02月16日(火)

 

 コロナでもって、「ソーシャルディスタンス」という言葉を知りました。意味までは知らなかったんですけどね。(笑) 勿論、”social” =社会的な、”distance”=距離ということは知っていましたですよ。

 私が疑問に思っていたのは、physical(物理的)距離ではなく、何故socialなのかということでした。私なりに考えて、皆がそのような行動を取らなければ感染対策になりませんので、socialつまり「社会皆で」という理解でいたのであります。

 

 しかし、その「理解」は否定されました。「社会的隔離」って意味だったんですね。感染者を保護するという発想ではなく社会から隔離するかつてのハンセン病の歴史であります。

 


 01月30日の赤旗です。

 

 ハンセン病国賠西日本訴訟弁護団共同代表の八尋光秀さんが、今回の感染症法・特措法改定案について批判をしておられます。

 

 「重大なのは、国の感染症対策の根本姿勢を『感染者への支援』から『感染者への強制と排除』に逆もどりされることです。」

 「日本では、結核やハンセン病などでの強制入院や強制隔離など、患者に対して取り返しのつかない人権侵害をおかした歴史があります。・・・改定案には、そうした歴史への反省も、公衆衛生政策への理解も見られません。」

 

 この記事が出た時点では、「案」でしたが、一部修正されて成立しました。「一部修正」とは、刑事罰から行政罰に変ったことです。私ゃ、刑事罰であろうが行政罰であろうが罰則という意味では同じでしょ!と思います。この成立に手を貸した立憲民主党の罪は重いと思います。

 

 ソーシャルディスタンスは「社会的隔離」という意味なので、フィジカルディスタンスに変えようと言っている人がいます。私はもっともだと思うのですが、先の私の誤解解釈である「社会皆で」という意味で、ソーシャルディスタンスという言葉を使った方が良いと思うのです。

 しかしながら、ハンセン病患者を隔離した歴史がそれを許さないのであります。言葉も歴史を背負うってことでありましょう。

 

 

 

 2001年に、ハンセン病療養施設へ行ったことがあります。以下です。

 

                    長島愛生園

                                           2019年6月30日(日)

 2001年8月18日、岡山県にあるハンセン病療養施設「長島愛生園」へ行っていました。

 橋が見えてきました。

 

 

 橋を渡る時は、感激いたしましたです。

 

 以下、ネットを引用しました。

 

「長島と対岸の虫明を隔てる海はわずか30メートルしか ありません。昭和6年3月、愛生園に初めての患者が収容されてからはこの水路は人間差別の障壁となりました。ハンセン病に決定的な治療方法が無かった頃の療養所は絶対隔離離を鉄則としており、個々に事情がある者も外 出が許可されなかった為逃走するものは後を絶ちませんでした。その経路として、夜陰密かに監視の目をくぐり、こ の水路を越えていった者は少なくありません。しかし、潮の流れが非常に速い為、何人かはここで命を落としまし た。この水路に橋を架けることを愛生・光明、両園の自治会で話し合われるようになったのは昭和43年頃でありまし た。そして、昭和47年には架橋促進委員会が組織され、架橋への積極的な運動がはじまりました。その後、各関係機関への陳情を繰り返し、さまざまな問題を乗り越え、約17年間の活動の後昭和63年5月9日、隔離の必要のない証としての「人間回復の橋・邑久長島大橋」が開通しました。 その後、平成元年11月に乗り入れられた民間バスは職員の通勤用にも利用されていて、入園者も自由に島外に出掛けています。また、国賠訴訟での和解以降はさまざまな団体が来園さ れています。」

 

 上記にあるように、この橋は1988年5月9日に開通しました。私は当時の新聞記事を覚えております。「愛の架け橋」というタイトルで報道されたような記憶があります。

 

 2001年は、ハンセン病訴訟の判決があった年です。様々な報道がされ、この橋を覚えていた私としては、行ってみたいと思ったのです。

 

 

 18年も前ですので、記憶は明確ではありませんが、静かで綺麗な島という印象でした。人影を見かけませんでした。

 

 

 オートバイで行ったのです。誰かに撮ってもらったんでしょうが、全く覚えておりません。

 

 CBR400とありますが、実際はCBR1100です。wifeを誤魔化すために小さく見せかけたのですが、不思議です~!wifeは、見破っていました。wifeは、2輪車のことについて知識は殆どありません。ということは、私の行動から見破っていたってことになります。恐っ!

 

 これは、協会です。

 

 温暖な気候の島です。

 

 愛する人と引き裂かれる、その思いですね。

 

 「必ず行きて見む・・(後は故郷の地名)」とあります。「首里の石畳道」とありますので、沖縄の人ですね。

 

 石碑の裏です。残念ながら何を書いてあるのか、分かりません。

 

 のどかな場所です。

 

 こちらは、光明園です。

 

 居住区です。施設の関係者の家でしょうか・・。

 

 6月29日の朝日新聞です。

 2001年の判決は患者の権利に対する判決でした。今回は、家族の権利に対する判決です。画期的と思います。国は、控訴できますまい。

 

 「国会議員は、違憲が明白だった65年から96年までの予防法の隔離規定を廃止しなかった不作為について違法」とあります。

 私は、この件で、国会議員のコメントを知りません。積極的に発言すべきと思います。でなければ、カックリします。

 

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「別人格」人物はズブズブの... | トップ | 雇用保険の追加給付がありました »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

新型コロナウィルス」カテゴリの最新記事