水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

その先にあるもの

2009年07月15日 | 日々のあれこれ
 合奏4、会議2、積み込み1、送迎3と、かなり働いた。
 部員諸君も、今日はよく吹いた。
 残念ながら、終わり頃は音が汚くなってしまった。これも課題。
 明日の保護者会資料は印刷したので、あと夏期講習のテキストやろうかな。

 「うつくしかなり」は「うつくしかんなり」と読みます。
 「うつくし」の連体形「うつくしかる」が音便化したものです。
 平安時代、「ん」という平仮名は一般に用いられないので、「うつくしか」としか書いてないけど、「うつくしかん」と読んでください。
 「子になりたまふ人なめり」を「人なんめり」と読みましたね。それと同じです。けっして形容詞の九州弁形「うつくしか」じゃないよ。
 というような説明を先日授業でした。
 でもほんとに、「うつくしか」「たのしか」みたいな九州弁は、古典で勉強する形容詞の連体形のなごりかもしれない。
 ちゃんと調べればどこかに書いてありそうだ。
 九州弁(といってもいろいろあるのだが)は、関西系のことばの次に、日本人の多くが理解できる、というか市民権を得ていることばではないだろうか。
 佐田玲子(さだまさしの妹さん)の「好いと」という歌は九州弁の歌で、歌詞の内容も、曲想も、ふつうにきれいなバラードなのだが、九州弁を用いたことでものすごく心にしみる作品になっている。

 そんなに悲しそうな瞳(め)をせんでいいとよ
 なにもあんたが悪いとじゃないでしょう
 わたしがついて行くことで あんたの荷物になる
 判っとって 一緒に行くわけには いかんだけ

と始まる、別れを唄った歌だ。
 あなたは自分の夢のためにがんばってほしい、私は足手まといになるから田舎に残ります、という演歌によくある内容ではある。
 ところが歌詞を方言にしただけで、たちまちこのシーンがなまなましい現実感をもってイメージされるのは、不思議だ。

 好かん 好かん あんたのその大きな背中
 どんなときも やさしすぎる あんたの その温もりが
 好かん

 このサビの「好かん」がいいなあ。
 佐田玲子さんは、楽曲もきれいだし、歌もお兄ちゃんよりよほどきれいなのだが、何かインパクトが足りないかなと思うこともある。
 で、この「好いと」が心をうつのは(もちろん自分の勝手な趣味の話なのですが)、きれいなだけではない「何か」にあたるものが感じられるからだ。
 たてもあっている、ピッチもあっている、音色もきれいなバンドで、もし何かものたりもないものがあるとしたら、そういうもの(だから、どういうもんやねん!)かなと漠然と思うのだ。
 なので、まずたて、ピッチをあわせてみたいのだ。
 その先にあるものを探しにいってみたいのだ。
 
 
コメント
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