水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

かぞくのくに

2012年08月13日 | 演奏会・映画など

 「かぞくのくに」はヤンヨンヒ監督の実体験を映画化した作品だ。
 静かな作品だった。
 爆撃音もなければ、切々と心に迫る音楽もない。
 ヴァンパイヤも宇宙人も登場しなければ、きれいな女優さんの柔肌も見れない。 
 クロエモレッツもスカーレットヨハンソンも出てない。
 もちろん武井咲ちゃんも出てないが、我らがガムコこと安藤サクラさんがすばらしい。
 お芝居にはもともと定評がある彼女だが、この作品で今年のmy主演女優賞が確定した。


 静かな映画だった。
 派手なアクションもなければ、犯人に追い詰められていくドキドキもない。
 絆をまもれぇ!と絶叫する人も、好きだぁ!と泣きわめく人もいない。
 外に現れてないから感情の量が少ないということにはならない。
 むしろ静かだからこそ、人間の感情の深い部分がより伝わってくることもある。

 
 1997年、北朝鮮に住む兄ソンホが、病気治療の目的で許可をもらい、日本で暮らす両親と妹リエのもとに帰ってくることになった。
 認められた滞在期間は三ヶ月。しかし病院での検査の結果、三ヶ月での治療は難しいとのことだった。
 25年前、当時16歳の兄は帰国事業の一環で北朝鮮に渡る。
 家族の中でソンホだけが海を渡った理由は明確には語られないが、叔父は反対していた、父が総連の役員であったなどの事情から、わかる人には想像がつくようになっているだろう。
 計算すると、ソンホが船にのったのは1972年になる。
 北朝鮮を地上の楽園と信じる人はもういなくなっていた時代ではないかと思うが、日本にもどるのがこれほど困難な情勢になるとまで、思ってなかったのではないか。
 再会を喜ぶ両親や妹と、多くを語らず感情を押し殺しているかに見える兄が対照的に描かれる。
 兄の動静を監視する役がいて、ソンホの妻子が北に暮らすことを考えれば、思い切り羽を伸ばす自由が兄に与えられていないことは想像がつく。
 想像はつくものの、一人の帰国に一人の監視をつけるほどの労力をはらわねばならないものか、それほど心配ならなぜ日本に行かせたのかとの疑問もわくが、妹のリエ(安藤サクラ)に、「工作員のような仕事をする気はないか」と話しだすのを見て、なるほどこういう意味もあったのかと納得はする。
 25年ぶりにあえた兄の口から、そんな言葉を聞かされた妹リエの悲しみはいかばかりだろう。
 思わず家を飛び出したリエが、監視のヤンにつめよる。
 「あんたが、言えばいいじゃない! オッパ(兄)に言わせないでよ」
 「あんたも、あんたの国もだいきらい!」
 監視役のヤン同士を演じるのは、「息もできない」主演監督のヤン・イクチュンだ。
 切ないごんたくれを好演した方と記憶している。
 しかし今回は「シバラマァ!」と叫んで殴ってきたりはしない。
 「あなたの嫌いなその国で、わたしも、あなたのお兄さんも暮らしているのです」と静かに答えるだけだった。
 25年のときを経て、遠く離れた北の地から、すぐそばにもどってきた兄。
 からだはすぐそばにありながら、心の距離は思いのほか遠くに隔たっていた。
 そして、その距離を縮める術をもたない無力さの前に、リエはやり場のない怒りをかかえるしかなかった。

 

 別の病院で検査してもらおう、滞在期間延長を申請しようとしている矢先に、本国から突然帰国命令が下る。
 監視のヤンにも理由の一切は知らされない。
 「あの国ではよくあることなんだ」
 兄は事実を受け入れ、帰国の準備をする。
 自分の力ではどうすることもできない現実と、どうすることもできない自分への怒り、納得できない思いを、直接口には出さず、表情にさえ出さずに演じきる安藤サクラがすごい。
 もし自分が役者さんだったなら、くやしくて眠れないかもしれない。
 

 こういう状態って、どんなんだろ(あ、また意味不明な文になってしまった)。
 傍目からは鬼気迫る演技に見えるとき、役者さんの精神状態はどんななんだろ。
 文字通り、役がノりうつっているのだろうか。
 そんな気もするし、それだけでもないような気がする。
 こういう風に演じて、こういうタイミングで涙を流せばいい感じになるはずだという計算ずくのものではもちろんないだろう。
 ただし、自分一人だけで演じてるわけじゃないから、どこかに客観的に自分を見る目、一段高いところから自分と周囲を見る目を、たとえ無意識であっても、その目線をゼロにしてしまってはいけないはずだ。
 それでも、役になりきるという言葉があるほどに、とりつかれたように演じることができるからこそ、一般人ではなく役者なのだ。
 憑依と俯瞰のほどよいバランス。
 それぞれ何パーセントずつになったときに一番いい仕事ができるのかは、役者さんによって異なる。
 その役やシーンによっても変わってくる。
 その絶妙のバランスの上にたって、役者が見せてくれる奇跡的な一瞬に立ち会えたとき、映画であれ、舞台であれ、通常の人間ではなしえないものに接した喜びを与えられる。
 「かぞくのくに」は、自分にとっては、そんな奇跡のかたまりのような映画だった。

コメント
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