ピンチヒッターで2年現代文の講習を担当する。アウェイ感ただよう教室だったが、解いている様子をみた結果、ほんとに基本的なことだけを話してきた。
基本が身についてない様子、つまり国語を解く「からだ」になってないなと感じた。
といっても、筋力が足りないとか、柔軟性が足りないとかの話ではない。
でも「視力」が足りないという言い方はあたっているかもしれない。
どこを見ていいかわからず、ぼやっと全体を眺めている読みをしている。
有田和正先生が、国語の力をつけるということは「国語のメガネ」をかけてあげることだ、と述べてらしたと思う。
そのメガネをかけると、大事なところがすうっとうかびあがってくるようなメガネだ。
これをかけてあげたい(ちなみに少し前に買ってたまにかけてた黒縁のメガネをかけて練習に行ってたら、Fくんにほめられたので、しばらくこれでいこうかなと思う)。
音楽も同じで、わが部員たちは一生懸命にがんばってはいるのだけど、音楽をする「からだ」がまだできていない。
そういえば、コンクール前の朝日新聞で、某県立強豪O高校のS先生(もうわかっちゃいますね)が、「うちの生徒は勉強は偏差値70で入学してくるけど、音楽偏差値は50なんですよ」と述べてらして、ちょっとかちんときたのは埼玉吹奏楽界でおれだけ?
たとえば四分音符と八分音符の違いからスタートする本校部員たちはそんな言い方したら、偏差値なくなってしまうではないか。今も譜面をドレミで歌ってみてというとあやしい子はたくさんいる。
なので、もういっかいコールユーブンゲンをきちんとやろうと思う。
いつも一学期にやりはじめて、コンクールが近づくとうやむやになってしまうので。
昔はもっと歌ってた。
あと踊りも。体全体で何かを表現する「くせ」を身につけてもらうことで、音楽するからだをつくっていくことは、決して遠回りではないはずだ。
運動部の子は、筋力アップのトレーニングをする。
野球で言えばキャッチボールはロングトーンで、バーベルをあげるのはソルフェージュとかリトミックにあたるはずだ。
腕立て五回しかできない選手が130キロのボールを投げることはできないのと同じように、ドレミファソってふつうに歌えない状態でメロディーはうまれてこないと思うので、もういっかいここから。