~ コンビニエンスストアは、音で満ちている。客が入ってくるチャイムの音に、店内を流れる有線放送で新商品を宣伝するアイドルの声。店員の掛け声に、バーコードをスキャンする音。かごに物を入れる音、パンの袋が握られる音に、店内を歩き回るヒールの音。全てが混ざり合い、「コンビニの音」になって、私の鼓膜にずっと触れている。 (村田沙耶香『コンビニ人間』文藝春秋) ~
古倉恵子は、コンビニ店員のバイトを大学1年から始め、36歳の今も続けている。
18年間同じ店である。その間に店長は8回代わった。
この主人公は、実際に身近にいたら、たぶんけっこうヤバい。本来の意味で。
小学校にあがる前、公園で死んでいる小鳥を見て、焼き鳥にして食べようと本気で母親に提案する。
小学校低学年、クラスで男子がけんかをはじめたとき、「とめて!」と誰かが叫ぶのを聞き、たまたま掃除用具入れにあったスコップで男子の頭を思い切りなぐって、「とめ」ようとする。
この子はどこか感覚がおかしいといぶかった両親が、カウンセリングに連れて行ったというのもうなづける。
ただ、本人には自分の何がおかしいのかわからない。わからないながらも、周囲からおかしいと思われていること自体は感じられるようになる。そこは、真性のあぶない人と異なる点ではあろう。
自分がおかしいことを悟られないためには、人と接しなければいいという結論に達した彼女は、中学にあがってからは、極力おとなしく、人目につかないようにふるまった。
そんな様子を理解し、愛情をそそいでくれる両親に感謝しながら、「いつか治るといいね」と会話する声が耳に入ってくると、違和感をおぼえる。大学生になるとひとり暮らしをはじめ、相変わらず人と関わらない暮らしを続けた。
それが一変したのは、近くに新しくできたコンビニとの出会いだ。仕送りは十分してもらっていたが、アルバイト自体には興味があった。面接に出かけるとすぐ採用が決まる。研修がはじまる。
他人との接し方について、ことこまかにマニュアルがある。それにしたがって笑顔をつくり、元気よく声をあげ、あいさつをする。ほめられる … 。
はじめて普通に人と関わり、役に立っている自分を実感できる場所だった。
その後、普通の就職をしてみようと思ったことはもちろんあった。しかし、コンビニのバイトだけが職歴という時間が長くなると、書類で落とされることが多くなる。
親にも勧められるが、積極的にコンビニをやめようという気持ちはもともとない彼女は、そのままの暮らしを続けた。そして18年 … 。
状況は一気に展開する。
婚活目的と公言してバイトに入ってきた白羽という男との出会いだ。
恋愛感情を抱いていたわけではないが、白羽とつきあっていると勘違いされる状況になる。
それを否定せずに受け流していると、自分に対する周囲の扱いが変わった。
もしかすると、これが「普通の人」と扱われている状態なのかとそのとき気づいたのだった。
形だけの同棲をはじめ、それが知られるとまた、コンビニで働く仲間も、家族も、やっと彼女は「普通」になったとはしゃぐ。なんだ、こうしてればみんな喜んでくれるのか … 。
いつまでもコンビニ店員ではいけないという白羽にさとされ、ついにコンビニを辞めることを決心した。
実際に辞めてみると、18年「コンビニ人間」として生きてきた彼女は、案の定どうしていいかわからなくなる。
~ コンビニを辞めてから、私は朝何時に起きればいいのかわからなくなり、眠くなったら眠り、起きたらご飯を食べる生活だった。白羽さんに命じられるままに履歴書を書く作業をする他には、何もしていなかった。何を基準に自分の身体を動かしていいのかわからなくなっていた。今までは、働いていない時間も、私の身体はコンビニのものだった。健康的に働くために眠り、体調を整え、栄養を摂る。それも私の仕事のうちだった。 ~
たとえば流れ星 … 、あ、ちがった、たとえば定年で会社を辞めたあと、どうしていいかわからなくなるお父さんが、世間には多数いるという。
「コンビニ人間」とどこが変わるだろうか。
履歴書を送ったある会社の面接に向かう途中、立ち寄ったコンビニで「声」が聞こえてきた。
レジには行列ができ、店員がさばききれていない。陳列棚は、きれいに整っていない。
思わず、棚の方に向かい、商品の並びをかえる。
レジから不審げに視線を送ってくる店員に、バッジを見せるようなそぶりで「おはようございます」と控えめに声をかける。本部の社員と理解されたようだ。
安心して作業を続けると、店内の空気が一気に変わった。「ありがとう」と店が言ってくれている。
~ コンビニはお客様にとって、ただ事務的に必要なものを買う場所ではなく、好きなものを発見する楽しさや喜びがある場所でなくてはいけない。私は満足して頷きながら、店内を早足で歩き回った。
今日は暑い日なのに、ミネラルウォーターがちゃんと補充されていない。パックの2リットルの麦茶もよく売れるのに、目立たない場所に一本しか置いていない。私にはコンビニの「声」が聞こえていた。コンビニが何を求めているか、どうなりたがっているか、手に取るようにわかるのだった。 ~
「おまえ、何してるんだ!」
白羽さんがみつけてどなる。そんなことはもうやめろと言っただろうと。
(実は白羽さんも、かなりヤバい人だ)
~ 道路まで私を引き摺って怒鳴った白羽さんに、私は言った。
「コンビニの『声』が聞こえるんです」
私の言葉に白羽さんは、おぞましいものをみるような目になった。白羽さんの顔を包んでいる青白くて薄い皮膚が、まるで振りつぶしたようにしわくちゃになった。それでも、私は引き下がらなかった。
「身体の中にコンビニの『声』が流れてきて、止まらないんです。私はこの声を聴くために生まれてきたんです」
「なにを……」
白羽さんが怯えたような表情になり、私は畳み掛けた。
「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです」 ~
ここまで変な人はそんなにいないよなと思いながら読んでたけど、そうでもないかな。
むしろ現代人はなんらかの「なんとか人間」ではないか。
定年で途方にくれるお父さんが「会社人間」であるように。
待てよ、おれも「学校人間」か … 。
客観的にこの業界を見渡してみると、「コンビニ人間」級の危険さをもつ「教師人間」「部活人間」が、なんとたくさん生息していることか。それにくらべてら、自分なんか、まだまだ普通すぎる。