~ 一時期はこのセンスというのは、生まれ持った才能だと思っていた。でも迷いながらもデザイナーの仕事を続けてきて、三十代半ばを過ぎた頃からは、才能だけでは限界があることもわかってきた。センスは努力で磨かれる。もともと自分に天性の才能を感じていたわけではないから、その発見はうれしかった。 (藤岡陽子『手のひらの音符』新潮文庫) ~
仕事でも芸術作品でも、自分には手が届かないような高見に達しているものに出会ったときに、人は(おれはかな?)天に原因を求めがちだ。
そうやって自分を慰めるわけで、一面では正しい。どう考えても自分の中に、3000本のヒットを打ったり、100メートル9秒台で走る能力が埋もれているとは思えないから。
同時に、安易に「センス」や「才能」で物事を評することは戒めないと、本質に気づけないことも多々あることを忘れてはいけない。
もってうまれた才能が生み出したように見えた結果が、実は想像を絶する量の努力の蓄積であることは多々ある。ものすごい努力と緻密な計算の上に成り立っているものを、「天分」と一言ですますのは、ただのなまけものだ。