学年だより「才能とは(3)」
漠然と「人生」と言うときに私たちがイメージするのは、目に見えない何ものかが与えてくれた、「生命維持可能期間」といったものだろう。
それを人は「運命」「宿命」「さだめ」「天寿」という類いの言葉でよんできた。
自分の人生は自分で切り拓くしかないと口ではいいながらも、あくまでも人生は「与えられたもの」であり、切り拓くと言っても人それぞれ限界があると内心では思っている。
誰もがひとしく可能性をもっているわけではない、と。
実際、そう考えないと、あらゆることが説明できない気がするからだ。
どんな家に生まれるか、どんな親のもとに育つか、どの国の、どこの村の、いつの時代に生を得るかを自分で選ぶことはできない。身長何センチくらいの身体になるのかも、顔の造作も、どんな声質かも、何も自分で決めることはできない。そして、お金持ちの家に生まれた子をうらやんでみたり、「生まれつき」足の速い子にあこがれたりもする。
だから、少しでも前向きに生きようとするなら、自分に与えられたものを大事にしよう、生まれ持った能力を少しでも開花させられるようにがんばろうと発想する。
ところが、才能は「与えられたもの」ではなく、「自分で作るもの」と考えることができるなら、勉強や練習の方法論も変わってくる。
「持てる能力」を開花させるのが目標である場合、目標には上限が設定される。
能力そのものを変えることができるなら、無限の可能性という言葉が絵空事でなくなる。
音楽家は、持って生まれた才能を開花させて音楽家になったのではなく、能力を練習によって高めることで普通の人ができない演奏ができるようになった、と前号で書いた。
音楽に限らない。どんな分野においても、ある能力を開発するために長期間にわたって訓練を続けると、それに関係する脳の領域に変化が生じる、脳そのものが変わる。
勉強は、持てる脳をいかすことではなく、脳そのものを変えることになる。
意志の力で、今住んでいる場所をかえることはできない。親を替えることも、身体そのものを作り替えることはできない。
でも勉強で脳を変えることはできるのなら、勉強こそが人生を変える手段ということになる。
~ 勉強すると自己成長します。自己成長することで、能力が高まり、できることの質と量が大きく変化し、現実が変わります。「勉強する」とは、現実を変えるということです。
自分の人生を変えるほとんど唯一の手段が「勉強」です。昨日と同じことを繰り返していては、昨日と同じ毎日が続くだけです。
人生は、「行動」を変えない限りは変わりません。「行動」を変えるためには、情報や知識のインプットが必要です。新しい「知識」を入れることで、新しい「行動」が生まれ、それが「習慣」になるのです。現実を変えたければ勉強すればいいし、現実を変えたくなければ、毎日、気がすむまでゲームをやればいいのです。 (樺島紫苑『ムダにならない勉強法』サンマーク出版) ~
現実を変える「赤のカプセル」を飲んでみようではないか。