学年だより「元を取る」
ファミレスのドリンクバーで「元を取る」ためには何倍飲まなければならないか。
原価平均は基本的に一杯5円だから、190円のドリンクバーなら38杯飲むと元を取ったことになる。ただし、そのせいでお腹を壊すとマイナスになるので、よい子はチャレンジしない方が賢明だ。
焼肉やしゃぶしゃぶの食べ放題は、13、5人前が採算路線として設定されるのが平均的だという。
がんばって10人前食べたから「元はとったかな」と喜んでも、なかなかそうはならない。
当たり前の話だが、そうでないとお店が成り立たないからだ。
食べ放題で「元を取る」のは不可能なのか。
食材の摂取だけでは、難しい。そもそも食べ放題には、何のために行くのだろう。
「おなか一杯食べたい」は当然の目標だが、上限が決まった値段の安心感のなかで、思い切り食べたい思いが満たされることが一つ。
そして食べ放題のお店ならではのイベント感覚だ。好きなものを好きなだけ食べ続ける。ふつうのお店なら、デザートに注文を許されるケーキは一種類だが、お皿一杯に全種類とってきても叱られることはない。
ただし、一緒にいく相手が微妙だと、物理的に満腹しても精神的には微妙という場合がある。
一緒に行った相手との仲が深まった場合は、物理的には全然元をとれてなくても、全く後悔はしないに違いない。
食べ放題の本質はここにある。物理的食材だけで「元を取る」のはまず不可能だ。
それ以外のもので、つまり精神的に得られたものの大きさで価値が決まる。
先週、説明会にお招きした早稲田大学の授業料は、文系学部で年におよそ100万円、理系学部は140万円。お安い金額ではない。
~ 「大学の授業料て、おかしくないですか? 何十億、何百億かけた映画でも1800円なのに。 大学の1講義なら500円でいいだろ! 就職先を保証してくれる訳でも無いのに。 ~
この質問に対して、岡田斗司夫氏は次のように答えている。
~ 学校は「文化背景」であり「帰属できる場所」です。
過疎の村の小学校が潰れるとき、なぜみんな哀しいのでしょうか? それは学校が「教育サービス産業」ではなく、思い出の場所であったり、都会へ出た後も思い出せる故郷だからです。
大学が潰れちゃうと、その大学の卒業生全員が履歴書に「元・○○大学」と書くことになります。つまり信用保証としても使えなくなっちゃう。学生は「将来の身分保障のためにも、大学が潰れたら損」なんです。だから学生や地域全体で「大学の現在と未来」を維持する必要がある。
大学とは「帰属場所」「社会保障の担保」という意外な機能も持ってるわけですね。 (「岡田斗司夫の毎日メルマガ」より) ~
大学はけっして「自由経済のロジック上にあるサービス機関ではない」と言う。