水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

運も才能もなくていい

2019年04月22日 | 学年だよりなど
学年だより「運も才能もなくていい」


 この時代の埼玉に生まれたのが幸運なら、大学や就職も運で決まったなら、なおいいだろうか。
 さらには、どんな恋人や配偶者を得られるかについても。


 ~ 「抽せん式」と「選抜式」の2通りの考え方があります。
 結婚相手を抽せん式にして欲しい人もいます。
 その人はモテない人です。
 今モテていないから、抽せんに活路を見いだそうとするのです。
 東大が抽せん式になったら、もはや東大ではなくなります。
 コツコツ自力で頑張って、頑張った分だけ結果が欲しい人は、選抜式を選びます。「世の中のことは、すべて運で決まる」という人生観の人は、努力しないで神頼みだけになります。 ~


 自分で好きな人を見つけて、好きなタイミングで結婚できるという現在のシステムは、完成して長い年月を経たものではない。憲法上認められたのは、日本では数十年前の話だ。
 生まれや育ちに関係なく、勉強すれば大学に入れるし、希望する職業にもつけるというシステムも、ほんとうに浅い歴史しかない。
 最初から、身分や職業を与えられた方が、「楽」という考え方も成立はするだろう。自分のおかれた状況が不本意なものであっても、「仕方ない」と納得させることができるからだ。
 就職や恋人が「抽せん」で決まると言われたら違和感を覚える人も、才能の多寡については、「仕方ない」感覚を抱きがちだ。


 ~「世の中は才能で決まる」と言われたら、努力が嫌いな人は、ほっとします。
「そうか。才能で決まるのだから、自分の努力は関係ない。だから仕方がない」と思えるからです。
 最初から負ける側の論理として、自分を慰めることから始まっているのです。
  … 長い人生のなかで、20代の半ばに、もう才能ではもたなくなるのです。
 20代の後半でもまだ才能がもっている人は、自分の才能以上に頑張った人、才能がなくても頑張った人です。最初からヘタに才能がないので、先に、「世の中は才能ではないんだ」と気づけて、逆転できるのです。
「自分は才能がないわけではないけど、そんなに上でもないし、真ん中ぐらいですかね」と思っている人が、一番成長しなくなります。
 自分は才能がないと思っている人は、失うものがないので、必死で頑張ります。
 そこそこの才能をキープすれば、いいと思っている人は、下から追い越されます。
 上は上で頑張っています。結局、真ん中のグループが一番取り残されていくのです。
          (中谷彰宏『リアクションを制する者が20代を制する』WAVE出版) ~


 自分には「運」も「才能」も不足しているかもしれない、だから仕方ないではなく、だからコツコツやろうと努力できれば、人生はいくらでも変わる。
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