水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

志らく大全集

2019年10月16日 | 演奏会・映画など
 国立演芸場で、久しぶりに、というかテレビ的にメジャーになってからは初めて、志らく師匠の噺を聞く。
 古今東西の名作映画を、江戸を舞台におきかえて落語にする「シネマ落語」なる企画は、志らく師匠にしかできないネタだ。
 前半に「ぞろぞろ」「明烏」の古典二席を、そして後半に「素晴らしきかな、人生」が落語化された作品をたっぷり聴く。
 原作の力は大きいに決まっているのだが、それを落語にして、「ぞろぞろ」の神様や「明烏」の若旦那をフィーチャーして、たった一人で演じて、原作なみに泣かせる仕上がり。ただものではない。
 師匠のtwitterに、「テレビばかり出てないで落語に専念したほうがいいんじゃない」という書き込みを見たことがある。
 どう考えても、落語を聞いたことのない人のものだ。たしかに寄席に立川流は出ないが、志らく師匠レベルでホール落語を催している噺家さんは、そうはいない。理由は簡単だ。お客を呼べないからだ。
 いま東京だけで数百人の噺家さんがいるが、独演会なり二人会なりを企画して、たとえば100人ぐらいのハコでも、満席にできる人は少ない。きびしい世界だ。音楽も同じか。
 音大を優秀な成績で卒業して、リサイタルに100人呼べる演奏家がそうそうはいないのと同じだ。
 テレビに出るようになって、はたして芸は「あれて」いるのか。
 そんなことがあるはずがない。むしろ「文武両道」だ。
 部活をやめて勉強ができるようになる例は少ないし、部活でいい活動ができているときは、勉強も集中できている。
 落語家でしかも立川流という特殊なグループにいる方だからこそ、ちがう現場での経験を積み、いままで絶対に自分の前にはいなかったようなお客の前で演じることは、芸を深くこそすれ、あれさせるはずがない。
 若い頃ほど声が出てなかったが、だから逆に家元に近づいて、名人感も増していた。
コメント
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