「生きる意味とは何か」などと、なぜ人は考えてしまうのだろう。
考えたことのない人もいるかなあ。もしいるとしたら、それは幸せなことだ。
そうか、ここに真実があるのかもしれない。幸せの渦中にいる人は、自分が生きる意味を問いたださない。
演奏会の直前の練習で、急にセリフが入ってきた部員たちの様子にこっそり目頭があつくなっている状態で、おれはなんで生きているのだろうとは、たぶん考えない。
卒業式の後ありがとうございましたと言いに来てくれた子を握手してるときに、おれの存在意義は何かと思い悩まない。
そんな日ばかりではないけど、ありがたいことに今の生活に不満はない。でも世の中の理不尽に対し、あまりに無力な自分を意識したとき、さびしくなることもないわけではない。
まして、尾野真千子演じる田中良子さんのような境遇で、いろんなことが裏目裏目になっていく流れに人生が入ってしまった時、何か救いになるものはあるのだろうかと見入ってしまう。
七年前に夫を交通事故で失い、中学生の息子と二人暮らしの良子。
生活に余裕がないことは想像できるのだが、亡くなった夫と他の女性との間に生まれた子供の養育費を負担し、施設に入った義父のその月々の費用も払っている。昼は花屋で、夜は風俗店で働いても、それでも生活が苦しいことは容易に想像がつく。
客観的に見れば払う必要のないお金を払っているのは良子の勝手だ。
夫が亡くなったとき、事故の賠償金を受け取らなかったのも、同じだ。
「相手から謝罪の言葉がない、うちの旦那は虫けらじゃない、金ですべて解決するな!」という尾野真千子はかっこいいけど、かっこつけすぎてるんじゃないかとも思う。
日々の暮らしに押しつぶされそうになりながら、「ま、がんばりましょう」と笑顔を見せる。
押しつぶされそうな人を見かけると、同じようにはげます。
そんな良子が感情をあらわにしたのは、昔の同級生と再会し、恋愛関係に近い状態になったときだ。
自分の思いとはうらはらに、相手は完全な遊びであることを知る。
世の中の理不尽はあまんじて受け売れながらも、自分の気持ちをないがしろにする相手だけは許さないのが、彼女の矜持だった。
石井裕也作品の根底にあるのは、これかな。
社会的弱者、アウトサイダー、クラスでういてる存在、めめしい親父、日系移民……。
華々しい活躍とか、栄光とか成功とかの言葉からほど遠い人々を彼は描き、でもここだけは譲れない「自分」をうかびあがらせる。それが自分の元であり、そこさえ保てれば表面的に何をしようと、どんな目にあおうと、自分は自分だと言ってくれる。
風俗店の店長がつぶやいた「生きる意味って何?」に答えがうかばない良子が、「母ちゃんのこと好きだ」と言った息子の言葉にはっとするところがよかった。
思わずハグをする母、拒否はしないものの「言うんじゃなかった」と困った顔をしている中学生役の男子もよかった。
その気になれば、日本アカデミー賞をねらうような大作も撮れるのに、前作の「生きちゃった」もそうだけど、自分にとって今撮るべきものしか撮らないという矜持を感じさせる作品だった。
考えたことのない人もいるかなあ。もしいるとしたら、それは幸せなことだ。
そうか、ここに真実があるのかもしれない。幸せの渦中にいる人は、自分が生きる意味を問いたださない。
演奏会の直前の練習で、急にセリフが入ってきた部員たちの様子にこっそり目頭があつくなっている状態で、おれはなんで生きているのだろうとは、たぶん考えない。
卒業式の後ありがとうございましたと言いに来てくれた子を握手してるときに、おれの存在意義は何かと思い悩まない。
そんな日ばかりではないけど、ありがたいことに今の生活に不満はない。でも世の中の理不尽に対し、あまりに無力な自分を意識したとき、さびしくなることもないわけではない。
まして、尾野真千子演じる田中良子さんのような境遇で、いろんなことが裏目裏目になっていく流れに人生が入ってしまった時、何か救いになるものはあるのだろうかと見入ってしまう。
七年前に夫を交通事故で失い、中学生の息子と二人暮らしの良子。
生活に余裕がないことは想像できるのだが、亡くなった夫と他の女性との間に生まれた子供の養育費を負担し、施設に入った義父のその月々の費用も払っている。昼は花屋で、夜は風俗店で働いても、それでも生活が苦しいことは容易に想像がつく。
客観的に見れば払う必要のないお金を払っているのは良子の勝手だ。
夫が亡くなったとき、事故の賠償金を受け取らなかったのも、同じだ。
「相手から謝罪の言葉がない、うちの旦那は虫けらじゃない、金ですべて解決するな!」という尾野真千子はかっこいいけど、かっこつけすぎてるんじゃないかとも思う。
日々の暮らしに押しつぶされそうになりながら、「ま、がんばりましょう」と笑顔を見せる。
押しつぶされそうな人を見かけると、同じようにはげます。
そんな良子が感情をあらわにしたのは、昔の同級生と再会し、恋愛関係に近い状態になったときだ。
自分の思いとはうらはらに、相手は完全な遊びであることを知る。
世の中の理不尽はあまんじて受け売れながらも、自分の気持ちをないがしろにする相手だけは許さないのが、彼女の矜持だった。
石井裕也作品の根底にあるのは、これかな。
社会的弱者、アウトサイダー、クラスでういてる存在、めめしい親父、日系移民……。
華々しい活躍とか、栄光とか成功とかの言葉からほど遠い人々を彼は描き、でもここだけは譲れない「自分」をうかびあがらせる。それが自分の元であり、そこさえ保てれば表面的に何をしようと、どんな目にあおうと、自分は自分だと言ってくれる。
風俗店の店長がつぶやいた「生きる意味って何?」に答えがうかばない良子が、「母ちゃんのこと好きだ」と言った息子の言葉にはっとするところがよかった。
思わずハグをする母、拒否はしないものの「言うんじゃなかった」と困った顔をしている中学生役の男子もよかった。
その気になれば、日本アカデミー賞をねらうような大作も撮れるのに、前作の「生きちゃった」もそうだけど、自分にとって今撮るべきものしか撮らないという矜持を感じさせる作品だった。