水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

妄想力

2022年04月13日 | 学年だよりなど
2学年だより「妄想力」




 「妄想」の反対語は、「謙虚」な発言だ。
 たしかに人の可能性は無限ではない。誰もが大谷選手や藤井棋士になれるわけではない。
 だからといって、自分の能力をこんなものだろうと限度を設定してしまうのはもったいない。
 そもそも、やってみないことには、限度なるものはわからないのだから。
 「自分にはこれで十分です」「分相応な夢をもってがんばります」というような一見「謙虚」な言葉は、往々にして失敗への予防線であることが多い。
 自分の持つ能力や、おかれた環境では、そこまで高望みしない方がいいと考えるのは言い訳だ。
 自分より成功しているA君の才能が自分より高いと、なぜ言えるのか。
 B君のおかれた環境は自分より恵まれていると、なぜ言えるのか。
 大谷翔平に、藤井聡太に、井上尚哉に、「あなたがチャンピオンになれたのは、ただたんに恵まれていたからだ」と言えるだろうか。




~ 配牌は、誰もが平等に運まかせだ。
 それはとても人生に似ていると私は思う。どんな家に生まれて、どんな容姿か。配牌は、誰も望みどおりには決められない。相当に運が良ければ一巡目にいきなりリーチなんてこともあるし、最初からドラが三枚手牌にあることもある。逆にてんでばらばらでガッカリするような配牌にあたるときもある。あと一つ引ければ高打点で和了(あが)れるのに、そのたった一枚が最後まで引けないというのもよくある話。逆に、ツモに恵まれて、ぐちやぐちゃの配牌がいつのまにか素晴らしい手に化けることもある。
 与えられた配牌を生かすも殺すも、すべて自分の選択にかかっている。
 正解なんて、ひとつもない。いらないと切り捨てたものがあとになって惜しくなることもある。 それでも、「あの牌さえ残していれば」なんて後悔を引きずってもいいことはないのだ。自分の選んだ道を、失敗になった選択も含めて受け入れて、突き進んでいくしかない。
 その状況で最善だと自分が信じる選択を、ひたすら繰り返すしか。
 それを私は、麻雀から学んだ。
 結果が見えなくても、自分を信じて貫きとおす。 (黒沢咲『渚のリーチ』河出書房新社)~




 もっと容姿が良かったら、家がお金持ちだったら、都会に生まれていたら、頭がよかったら、口が達者だったら、足が速かったら、二重だったら……。
 誰もが一度は考えるだろう。でもそれを言い出したらきりがない。
 100%恵まれている人なんて、どこにもいない。それを言うなら、みなさんは奇跡的に恵まれているではないか。もっとがつがつ妄想しまくろう。

コメント
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