水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

資源配分

2022年04月23日 | 学年だよりなど
2学年だより「資源配分」




 努力の大切さを疑う人はおそらくそんなにはいない。
 何かを手に入れるためには努力が必要であり、その何かが大きければ大きいほど、簡単に手に入るものではないと私たちは理解している。
 ただ具体的にどうすることを努力と言うのかは、人それぞれで異なるかもしれない。
 たとえば、「一生懸命がんばること」とか「心をこめてやること」といったふうに。
 このように情緒的な言葉で表現すると、「努力」の実像がなかなか明らかにならない。
 努力するとはどうすることか。それは「時間をかける」ことである、と単純化してみたら、わかりやすい。
 勝間和代さんが、こう述べている。




~ 私は努力も、測定が可能だと思っています。どのように測定するかというと、とても簡単です。
  「 努力=使った時間配分量 」
と考えればいいわけです。しかも、私たちには1日は24時間しかありませんから、多数のことに努力をし続けることば実は不可能で、せいぜい2つか3つのことに集中しなければ、努力の成果は出ないわけです。だからこそ、得意なことを見つけて、そこだけに時間を割り振るようにしないと、努力の効率が悪くなります。努力というのはすなわち、
  「 あらゆる人に1日24時間平等に与えられた「時間」という資源を
    どのくらい、集中して「配分」するか 」
という、「資源配分」の問題なのです。 (勝間和代『断る力』文春新書) ~




 結果が出ない原因を、才能や環境のせいにしないようにしようと、何度も書いてきた。
 物事がうまくいかなったときに、直接的な自分の責任を少しでも減らしたいと思うのは、誰しもある。しかし正直に振り返ってみれば、自分に責任があることを大抵みな分かっている。
 そして、原因の多くは、「やり足りなかった」ことであることが。
 一昨年からのコロナ禍で、部活動にも大きな制限がかけられた。全国津々浦々、すべての学校が練習できない時期を過ごした。
 そんな中でも、いい結果を残す学校は「量」を確保していたと思う。
 学校で練習できない分、自宅で、個人でどれだけやっていたかの総量だ。
 練習できない期間、純粋にほかのことをやっていた人と、自分でできるトレーニングをしていた人とでは全く違う。体を動かせない分、理論を学んだり、イメージを作ったりした人もいるだろう。
 勝ち負けの結果と最も相関関係の高いのは、やはりそれらの「総量」ではないだろうか。
 人に与えられた最も大切な資源である時間を、どう配分するか。
 どんな形ででも、「そのこと」にまず十分な時間を配分することから始まる。


コメント
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