水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

意思(3)

2022年10月07日 | 学年だよりなど
2学年だより「意思(3)」




 人は、自分が生まれた環境から自由になれないという言葉に、一定の真実はある。
 親も選べないし、住む国も家も選べない。生まれ持った自分の身体も。
 しかし、自由になれないと決めつけ、抜け出そうとしない、つまり行動しないことも一つの選択だ。どう見ても恵まれない環境から、自由な人生を手に入れてる人はいくらでもいるのだから。
 うまくいかないこと、思い通りにならないことを、全部なんとかガチャのせいにしてしまうのは、責任放棄と言われてもしょうがないだろう。
 勉強についていえば、たしかにみんながみんな同じくらい賢くなれることはない。
 それは、毎日トレーニングしても、みんながプロ選手になれるわけではないのと同じだ。
 ただし、プロスポーツ選手になるよりも、ミュージシャンになるよりも、毎年3000人合格する東大の方が、ハードルははるかに低い。
 努力とその見返りが、勉強ほど公平に用意されているものは、他にないのではないか。




~「勉強は誰にとっても平等なものだ。頭がいいとか悪いとか言うけど、そんなのは微々たるもの。遺伝的な面よりも自分の努力でなんとかなる面の方が大きい。それにスポーツや音楽と違って、たった1回、入学試験でいい点さえ取れば、誰でも東大に合格できる」
 たしか、ヨーロッパとかアメリカの入学システムだったら何回も試験を受けなきゃならなかったはず。でも日本なら、試験で1回いい点を取ればいい。
「日本で一番の大学に行く権利を、誰もが平等に持っている。その権利を行使するだけで、ごく簡単に自分を変えられる。夢も希望もない奴でも、夢と希望を持てるようになる」
             (西岡壱誠『それでも僕は東大に合格したかった』新潮社)~




 「夢のない人間ほど東大にいくべきだ」と、師匠は語る。
 「1年生と2年生の間は、理系文系関係なく、法学部志望も医学部志望も合わせて駒場で『教養学部』に入って、自由に勉強することができる。いろんな学問の最先端を行く人から、好きに話を聞けて、その上で自分の将来を決められる」から、と。
 東大を「大学」一般におきかえても、実はほぼ同じことが言えるだろう。
 そもそも、「自分のやりたいこと」など、大学に進んで、自由にいろんな世界とふれあってみてはじめて、見えてくるものではないのか。
 中学、高校といった狭い世界にしか生きてなくて、つまり世の中のことを知らない状態で、将来自分のなりたいものは? などという問に答えられるはずがない。
 世間を知らないから、小学生はみんなサッカー選手とかYouTuberとか言うのだが、みなさんもそんなに大きくは変わらないのではないだろうか。
 やりたいことがない人ほど大学に行った方がいいというのは、ものすごい真実なのだ。


コメント
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