水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

1Q84

2009年07月13日 | おすすめの本・CD
 朝一番ででかけた野球応援だが、2回戦も無事勝利できた。
 学校にもどって、すこし合奏。まだまだやることはたくさんあるが、少しずつつぶしていけてる感もある。
 問題なのは、合奏している間は他の仕事はすすんでないということであって、夏休みの宿題プリントや夏期講習のテキストにてがついてない。
 明日配布の学年だよりだけはささっと書いた。
 その後、ある先生から頼まれた雑誌掲載用の文章を書く。
 ボツになるかもしれないので、ここにはっておきます。



 高校生にすすめたい本
  ~ 村上春樹『1Q84 上・下』新潮社刊 ~

 国語の教員でありながら身も蓋もない言い方になるが、本を読みたくない人は、無理に読む必要はないと思う。
 国語の成績をあげる手段として読書を勧める方もいないではないが、時間のむだだ。
 その読書の対象が文学作品であるならなおさらだ。小説を読んで国語の成績があがることはないことだけは、自信をもって言っておきたい。
 文学作品は、読みたい人が読めばいい。読まずにすませられる人は読まなくていい。
 読まずに一生を終えられるなら、それは幸せな人生なのだ。
 ただし、人生何があるかわからない。文学とは無縁の人生を過ごしていても、突然文学にすがらねばならない事態になるやもしれぬ。
 そのときのために、若いうちに教科書程度の文学作品には触れておいても損はない。
 ただ、国語の教科書で読むことになるのは、こんな話だ。
・飢え死にしないために老婆の着物を強奪する男の話。(「羅生門」)
・好きな女性を手に入れるために友人をだしぬき自殺させる男の話。(「こころ」)
・留学先で異国の娘を孕ませ捨てて帰ってくる男の話。(「舞姫」)
 こんな主人公達に共感したり感動したりする必要は全くない。
 なるほど、文学というのは、どっちかといえばだめな人間を描いたものなのかと知っていればいい。
 高校時代に、「だめ」な方に傾いてしまうことはもちろんあるだろう。
 そんなときだけ、小説を読んでみるといいかもしれない。
 そのときはじめて、「だめ」なあなたに、作者がメッセージを届けようとしていることに気づくだろう。
 メッセージが届かないなら、あなたの「だめ」度は低いので、安心して社会復帰すべきだ。
 私(筆者)も、最近この作品からメッセージをもらった。自分の「だめさ」には自信があったが、案の定、数時間にわたって作者からの深いメッセージを送り続けられた。
 それが何であるかは、ここでは書かない。作品の本当の意味はこの私にしかわからないからだ。作者村上春樹氏の思いは、誰よりもこの私が感じ取った。
 そして、私と同じように感じている人が、おそらく100万人以上いる。
 今後、世界各国で翻訳され、桁違いの読者を得ることになるだろうが、本当に意味を読み取れたのは、私だけだ、とこれから世界中の人が思うようになる。おそろしい作品だ。
 主人公の一人、「天吾」という青年は、予備校で数学を教えながら、家では小説を書いている。
 彼が小学生時代からのめりこんできた数学は、その明快さと絶対的な自由さゆえに、彼には必要だった。父親との軋轢から逃避するために必要な世界だった。
 しかし、その世界から現実にもどったとき、まわりの現実は何も好転していないことに気づくようになり、しだいに小説の世界に惹かれていく。天吾はこう考える。
 
 小説の世界から現実に戻ってきたときは、数学の世界から戻ってきたときほどの厳しい挫折感を味わわずにすむことに、天吾はあるとき気がついた。なぜだろう? 彼はそれについて深く考え、やがてひとつの結論に達した。物語の森では、どれだけものごとの関連性が明らかになったところで、明快な解答が与えられることはまずない。そこが数学との違いだ。物語の役目は、おおまかな言い方をすれば、ひとつの問題をべつのかたちに置き換えることである。そしてその移動の質や方向性によって、解答のあり方が物語的に示唆される。天吾はその示唆を手に、現実の世界に戻ってくる。それは理解できない呪文が書かれた紙片のようなものだ。時として整合性を欠いており、すぐに実際的な役には立たない。しかしそれは可能性を含んでいる。いつか自分はその呪文を解くことができるかもしれない。そんな可能性が彼の心を、奥の方からじんわりと温めてくれる。(『1Q84 book1』318頁)

 すぐれた作品は、解釈に幅があり、100万人の読者に100万通りの読み方を与えてくれる。
 人がこの世で生きていくうえで、思うようにならないことに出会ったとき、ときにそれを慰めてくれ、ときには逆に傷口をえぐるような力ももち、ときには一つの答えを提示してくれることもあれば、ただ深い悲しみを共有してくれたりする。
 人生を思うように生きている人には文学は必要ないというのは、そういう意味でだ。

 第一章、もう一人の主人公の「青豆」という女性が、渋滞の首都高でタクシーを降りる。ある任務を果たすために、渋滞が解消するのを待っている時間はないからだ。
 コートを脱ぎ、ハイヒールをて手にもち、ミニスカートで非常階段を下りようとする。

 青豆は大きく息を吸い込み、大きく息をはいた。そして『ビリー・ジーン』のメロディーを耳で追いながら鉄柵を乗り越えた。ミニスカートが腰のあたりまでまくれあがった。かまうものか、と彼女は思った。見たければ勝手に見ればいい。スカートの中の何を見たところで、私という人間が見通せるわけではないのだ。(『1Q84 book1』27頁)

 このシーンで、すでに本を閉じられなくなったあなたは、正真正銘の「だめ」人間だ。仲間だ。連絡してこなくていいけど、心の連帯はしよう。息をひそめている仲間が実は相当いる。
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日曜

2009年07月12日 | 日々のあれこれ
 日曜はいいな。自分の好きなペースであれこれやれて。
 ふだんは、会議を終えて合奏をはじめたと思ったら、電話でよびだされたり、よばれた先に出頭すると、それほど時間を争わない案件であったりし、しかし不快な顔ひとつ見せずに練習にもどろうとすると、やらねばならないことに気づいたり、またよばれたり、何日も先までのはずの仕事をせっつかれたり … 、なんてのはここだけのぐちということでお許しください。
 昨日は合奏はみられなかったので、今日はD、Aとやらせてもらった。
 朝からOBの駒大三人集がきてくれて、おわりころには中大二人組が教員採用試験直後によってくれた。
 いまや、日本を代表する大学バンドの、しかも中心で活躍するメンバーが合奏をみてると思うと、こちらももっといい合奏ができるようにならないといけないなと思う。
 もちろんそんなそぶりはかけらも見せなかった(つもり)。
 居残り組を送る車の中では、「先輩たちはすごい」系の話がきこえてきた。
 自分よりちょっと大人で、楽器も現役ばりばりの先輩というのは、たまに来て一言いってくれるだけで、きっと後輩諸君は何かを得てくれるのだろう。
 明日は野球応援二回戦である。
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生還

2009年07月11日 | 日々のあれこれ
 二泊三日の合宿終了。
 とは言え、いまコンクールに向けて2チームあって、それぞれが一泊ずつなので、気持ちさえあれば、そんなにきつくはないはずだ。
 一昨日はDチームの泊まり。新入部員47名のうち45名がこちらに属している。ほとんどが初心者で、なかばだまされたように(笑)入部した子も含め、47名全員が一人も欠けずにこの合宿に臨んでいるのは、過去にはなかったと思う。
 昨夜はAが泊まりで、深夜までバンドレッスンしていただいた。
 起きて、体操して、ご飯食べて、そうじして、前夜の復習や、個人練習をして、野球応援にでかける。
 相手の不動岡高校さんは、勉強も部活もがんばっているイメージがある。
 吹奏楽部さんも、毎年手堅い演奏で県大に何度も出場しているし。
 野球部さんも、そして応援席も、礼儀正しい実力者たちに見え、接戦を予感させた。
 本校エースの投球をはじめて目にする。
 いい投手が入学するよという話を昨年きいていて、たまたま入試の面接にあたったのだが、じつにいい顔をしてたのを思い出す。
 いや、いい顔というより、いい面と言いたいかんじだったな。
 はじめて彼の投球を見たが、素人目にもキレがある。
 初回の三者三振を見て「なんだか今日はいけそうな気がする~」と口ずさんだのは、私だけではないはzだ。
 その後も、ピンチはあったけども、そんなに心配はムードにはならず、おかげさまでコールド勝ちすることができた。
 さいわい、それほどの猛暑ではなく、野球部さんの戦いぶりのおかげもあり、楽しく演奏できた。何より「勝ちパワー」を身近に感じられるのがありがたい。
 試合直後のエール交換で、不動岡さんは、女子の団長さんがエールをきった。
 まさに「フレフレ少女」の世界で、ちょっとかっこよかった。
 合宿しての応援で、みな疲れたことであろう。帰りのバスのなかで部員諸君はみな爆睡していたときく。うらやましいじゃないか。こっちはキャラバン運転だから、寝られないんだぜ。
 学校にもどって片付け、解散。職員室でまだ終わってない期末の採点。
 数回落ちたけど、なんとか終えられた自分の、なんという意志の強さよ。
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ひとり

2009年07月08日 | 日々のあれこれ
 昨日かな、夕刊に「大学生の『便所飯』」という話題が載っていたので、一読し、うそだろ?と思ったけど、一面の記事でもあるし現実に存在する話ではあるのだろう。
 最近の大学生で、一人で食事をしている姿を見られたくなくて、トイレに隠れて食べる学生さんがいるという話だ。
 にわかには信じられなかったが、たしかに学食の片隅で、楽しそうにしている男女学生さんグループを見ながら一人で食事するのは、居づらく感じる場合もあるかもしれない。
 ぶっちゃけて言うと、入るのがやさしい大学ほど、そんな環境になってしまう可能性を想像できる。
 自分を思い返してみると、学生時代なんて一人で食事する方が多かったと思うし、おれだけの特殊ではなかった。
 十数年前と比較するのは問題かもしれないが … えっ?気づきました? すいません、もっとずっと前です。
 それでも、根本を考えてみると、ひとりになる時間がほしくて大学に行ったとも言える。
 それはつまり、お勉強ではなくて、学問してみたいという思いとも同義のはずだし、自宅を出て暮らしたかったのも元は同じだと思う。
 いまは違うのかな。
 今、高校で行われている暮らしぶりは、一昔前の中学校と変わらないともいえるし、本校の生徒さんを見てても、ふるまいが小学生に近いのではと思うときは正直ある。
 けっしてばかにしてるわけではないよ。
 成長のスピードが変わってきているということで、それは良い悪いというよりも、社会からの要請ではないかと思うのだ。
 だから、大学が昔の高校に匹敵したり、時には(大学によってはと言ってしまってもいいのだが)中学校と変わらない状態であっても不思議ではない。
 部活でみていても、上手になってくるほど、個人練習の時間を大事にできるようになる。
 いつもひとりではさびしいけれど、無理やり誰かとくっついてないといけないのはつらい。
 ひとりでいられる人といっしょにいるのが楽しい。 
 
 
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練習再開

2009年07月07日 | 日々のあれこれ
 試験も無事終わり、練習再開。
 野球応援の譜面を全員で吹いてみたが、けっこういい練習になることがわかった。
 基礎から、文化祭で演奏する曲へのいいはしわたしになる。
 「合奏の種」という初心者用の合奏練習曲を5月6月と取り組んだ。
 これもたいへんいい勉強になり、初心者用の合奏曲としては画期的なものではあるのだが、曲が地味なので。
 いや、もちろん教材としてはすばらしいのです。
 でも漢文の例文で、「我与兄登山(我兄と山に登る)」を同じ構造の「我為彩作餃子(我彩の為に餃子を作る)」にかえただけで、くいつきはよくなる。(「彩」は上戸彩ちゃんです。)
 それと同じで、簡単なメロディーを吹くにしても、唱歌よりはJPopの方が楽しくやれる。とくに自分が。
 今年は、何回応援にいかせてもらえるだろうか。
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OB

2009年07月06日 | 日々のあれこれ
 久しぶりに自分で予定を決めていい日曜だったので、OB1年のかどわき君に誘われていた埼玉大学のサマーコンサートにでかけた。
 かどわき兄弟は、ともに本校卒、埼大のCl奏者である。
 そういえばお兄ちゃんは、とんでもない絶対音感をもっていた。
 川口駅付近で、ふるいOBのFlのほそだ君ともであう。
 ないとう君、かむら君の代から、埼玉大学には多数のOBがお世話になっているのに、サマコンを聴かせてもらうのは、はじめてかもしれない。
 受付でパンフをもらい、もりた君、かどわき君の名前を確認し、ステージに現れてくるのをみると、ぐっときてしまうのは、年のせいだろうか、それとも直前に会館隣りのローソンで缶ビールを買って呑んでしまったからであろうか(アル中か!)、1曲目に「春の猟犬」というのも、涙腺を刺激するにあまりあるものであった。
 OB1年というと、つい先日まで下級生の前で偉そうにしていたのに、大学ではフレッシュマンだ。
 OBでもあり、フレッシュマンであるから、またいろいろなものを学んでいけるのだろうなと思うと、うらやましい。
 いっかいOBになって、高校生活を、部活をふりかえってみると、いろいろなことに気づくのだ。
 でも、現役はかんたんには気づけなくて、気づけないことで逆に何かを生み出すという面もある。 
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準備

2009年07月05日 | 日々のあれこれ
 だから一番好きなのは、釣るために仕込みを入れてるときだよ。いざ現場に着いてやり始めると、もうやることはある程度決まっているから、たいして面白くない。
 これは俺、なんでもそうかもしれない。そこに向かって準備してるときが一番楽しいのよ。どういうことが起こるか想定して、じゃあそのためになにが必要かって考えて、その準備を最大限していく。その感覚を楽しんでるんだよね。
                  ~ 哀川翔「早起きは『3億』の徳」 ~

 何の曲を演奏しようかと考えているとき、スコアに色塗りしてるとき、練習メニューをねっているとき。
 遠足の前日におやつを買っているとき、修学旅行の荷造りをしてるとき。
 合唱コンクール前の朝練、体育祭のダンスのふりつけ、クラス展示のつくりもの。
 受験校の下見、就職活動、コンパの幹事、デートの計画、結婚式場選び。
 焼き肉屋さんで、最初のタン塩一枚をのせるとき、パスタにタバスコとパルメザンをふりかけるとき、「並・卵・味噌汁!」。
 ちょっとした冗談に「もお、やだぁ」と二の腕あたりをたたかれて「なんだか今日はいけそうな気がする~」って思ったとき。
 「どっちかなぁ」「どっちだっていいよ、できれば元気でうまれてほしいな」「○○さんからもうお祝いもらっちゃった。あっ、また動いたよ」 … 。
 明日のお弁当はサンドイッチにしようかな、ハムも胡瓜もあるから、ツナ缶はきれてたっけ、じゃツナ缶買って、卵はどうしようかな、スクランブルかな、じゃロールパンも買ってこうか、黒パン買って胡瓜とチーズはさむと、『1Q84』でタマルが青豆につくったのになるな、よし黒パンあったら買って帰ろう、そういえば娘も『1Q84』読み始めちゃったなあ、あと念のためにビールは要るな、冷蔵庫に焼き豚残ってからそうだキムチとあわせよう、こんなもんか、あとミニトマトか … 。
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試験

2009年07月03日 | 日々のあれこれ
 期末考査の一日目、無事終了。
 部活の試験休み期間というのは、練習してないのに「コンクールまであと何日」の数が減っていくという不気味な期間だと感じるが、今できることをやるしかないと思う。
 夏休みの宿題の作成や、夏期講習のテキストづくり。
 ほんとは採点ができればいいのだが、まだ試験が終わっていないので。
 自由曲のカットがほぼ確定したので、スコアを新しくつくりなおし、メロディーをラインマーカーでぬったり、練習番号ごとに赤線を入れたりする。
 こうやって、一回練習から離れてスコアを見直すのはいいことかもしれない。
 それから野球応援の曲のだんどり(ここまで一回もコピーという言葉をつかってないのが、えらいとこですな)。
 もし、部員のみんなでここを読んでいる子がいたら言っておきます。
 試験後ちゃんと練習できるようにするために、今はしっかり勉強すること。
 けっして、補修などにならないように。
 
 
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才色兼備

2009年07月02日 | 日々のあれこれ
 せっかくなので西川美和監督の小説『きのうの神さま』を読んでみたが、びっくりした。上手で。
 直木賞をとってもおかしくないレベルだなあと思ってたら、ノミネートされてたことを知った。 
 西川監督はまた、たいへんきれいな方だ。
 人間は平等になどできてないことは、このことからもはっきりわかる。
 ふりかえって音楽の世界でも、最近はきれいな女性が演奏家、指揮者として活躍されていて、でもどちらかというと、ビジュアルが実質の音楽より先行していると感じる方がいらっしゃるのも事実だ。
 西川監督は、才色兼備という言葉がこれほどあてはまる方もいないのではないかと思う。
 きれいといえば、井川遙さんは、結婚されてお子さんを産まれてからほんとにいい女になった。
 この人が朝日新聞の夕刊にたまに書かれていたコラムも、また見事な文章だった。
 ある分野に秀でている人は、文章を書いてもうまいというべきか。
 「ディアドクター」は外国の映画祭にも出品されたときく。
 でもどうかな。西欧系の人に、この人情の機微がわかるだろうか。
 「おくりびと」レベルを超えている邦画は、外国では評価されにくいような気がするのだが。
 
 
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