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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

高校B

2016年08月07日 | 日々のあれこれ

 

 高校Bの県大会は、司会・進行係で一日きくことができた。
 トップバッターの滑川高校さんにまずひきこまれる。いきなり「行く」雰囲気ですよねと舞台袖で金井先生と会話する。
 つづいて芸術総合高校。楽器を専門に学ぼうとする生徒さんの集まりだから、君はクラリネットにまわれとか、ここだけ打楽器やってとか言えないし、何より十分な合奏時間が確保できない難しさがあるなかで、毎年高いレベルを維持するのは大変なことだ。上手な子が集まれば、そんなやらなくても結果はついてくるといったレベルでは、もうない。
 なので、シード高であっても絶対的な優位性などなく、どの団体もすきのない演奏が続いた。
 昌平高校さんは今年14人で登場。人数が多いときはA部門に出てくる。A部門で西関東に行ったときの「プラハのための音楽」は鮮烈だった。ここまで少ないのははじめてみたが、それを感じさせない … いや感じたな。14人にしかできない演奏だったと言った方がいいかもしれない。こうすれば14人でも、ここまでやれると教えてくれるような演奏だった。いいもの見せてもらいましたねと本田先生としみじみ語った。
 慶應志木さんの「ゴーストトレイン」は、さすがとしか言い様のないパフォーマンス。横綱相撲感さえあった。
 川越女子さんの驚くほど高い個人技、市立川越さんののびのびした演奏、身近な存在の成長ぶり(ていう言い方はえらそうだけど)に驚く。
 そして、なんといっても立教新座高校さんのバルトーク。とびぬけて技量が高いとは思えない。しかし、しっかりと楽器をならし、全員が曲を理解し、集中してひとつのものを作ろうとしたとき、ここまで高い一体感が生まれるのかと感動した。飲み会のときは常に疲れている鳥越先生の集中力は別人だった。
 松山高校さんも、加藤先生がうけついで2年で県大会にコマを進めた。
 慶應志木さん、立教新座さんともに見事西関東大会の代表になった。
 エネルギーをもらえた。いつまでもがっかりしてるヒマはない。

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コンクール

2016年08月05日 | 日々のあれこれ

 

   埼玉県吹奏楽コンクール 高校A部門1日目

 8月5日(金)7番(13:00~13:12) @さいたま市文化センター

 課題曲  Ⅰ「マーチ・スカイブルー・ドリーム」矢藤学

 自由曲  「富士山(Mont Fuji)北斎の版画に触発されて」真島俊夫

 

  銅賞をいただきました。応援ありがとうございました(_ _)

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明日

2016年08月04日 | 日々のあれこれ

 

 いよいよ、明日。
 練習のあと、おおた君が「やべえ、明日ちょー楽しみ!」と叫んでいるのを聞いて、自分もなんかそんな感じになってきた。
 毎年毎年、何度も何度もコンクールに出てきたが、毎回ちがう。
 曲も、メンバーも、気分も、体調も、出来具合も、出演順も、天気も。どんな努力をしてきたかも。
 こうして毎年新しい経験をできるなんて、なんとありがたいのだろう。
 こんなに長く生きているのに、毎年、毎日、人生はじめてのことばかりだ。

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マネージャー

2016年08月03日 | 教育に関すること

 

 甲子園練習で、シートノックの手伝いをしていた女子マネージャーが、係員に制止されてグランドから出されたというニュースを見た。女子はグランドに入れないという規則のためだという。
 ふだんから、このマネージャーさんはノックの手伝いをしていたのだろう。その学校の監督さんは、ユニフォーム着用ならいいのかと勘違いしていたとおっしゃっていた。
 このニュースについて、「差別だ」「遅れている」「そもそも規則が変」「高野連はなんだ」などと批判が起こっている。
 「危険防止に基づく規則なのだから、整合性がないわけではない。男女差別は別の話」と擁護するスポーツ新聞の記者さんが書いている文章も読んだ。
 「じゃ、男子なら危険でもいいのか」という反論も当然あるのだが。

 でもね、みなさん、根本的にずれてる。
「女子マネージャー」という存在そのものについて、どなたも疑問に思っていない。
 野球にかぎらないが、専従で選手をサポートする役目の生徒さんがいて、それを女子が担うのが普通という感覚に疑問を抱かないことが、本当はおかしいのだ。
 去年(かな?)。ある高校(ていうか、埼玉のライバル校。あ、野球のね)のマネージャーが、成績優秀な選抜クラスに入ることを拒んでマネージャー業に専念しおにぎりを作り続けた、自分の進路まで犠牲にしてがんばったという「美談」があった。
 選抜クラスに残るかどうかも、どれくらい部につくしたいかも、本人が自分の気持ちにしたがってきめればいい。 でも、マネージャーは「おにぎりをつくる」という、仕事というか、役職というか、係というか、そういう存在があること自体はどうなのか。
 おにぎりは自分の家からもってくればいいし、その子はその分勉強すればよかったのでないか。
 いや、わかってるよ。その子がにぎってくれるから、練習に身が入るのだ。男ってほんとに単純よね。
 じゃ、女子のいない学校はどうすればいいんだ!

 「マネージャー」という存在がいてくれれば助かると思う。選手たちも、監督も。
 でも絶対的に必要な存在とはいえない。
 男子校で考えてみると、最初からマネージャー希望で入部する生徒はまずいないだろう。
 部によっては、途中から「マネージャー」として働きはじめる子もいる。
 最後まで選手として頑張りたかったけど、自分の実力を考え、別の形ででもチームに貢献したいと思ってマネージャー役をひきうけるというパターンが多いのではないか。
 マネージャーになれと言われて、それなら辞めますと部を去る例も、ないことはないはずだ。
 男子校で考えた場合、専従としてのマネージャーはやはりまやかしだと思う。
 どんな部でも「裏方仕事」はある。
 それはみんなでやればいい。
 その比率が、ベンチ入りメンバーと、はずれてしまった子の間に差があってもしかたがない。
 じゃ、女子ならいいのか。
 そこに疑問をもってない方は、「女子マネージャー」がグランドに立つのに賛成でも反対でも、高野連さんと次元は同じだと思う。
 エースで四番でも、交代でスコアつけて、くさむしりして、洗濯して、おにぎりつくって、球出しして、勉強もちゃんとやるのが、部活動としてのあり方だろう。

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コンビニ人間

2016年08月02日 | おすすめの本・CD

 

 ~ コンビニエンスストアは、音で満ちている。客が入ってくるチャイムの音に、店内を流れる有線放送で新商品を宣伝するアイドルの声。店員の掛け声に、バーコードをスキャンする音。かごに物を入れる音、パンの袋が握られる音に、店内を歩き回るヒールの音。全てが混ざり合い、「コンビニの音」になって、私の鼓膜にずっと触れている。 (村田沙耶香『コンビニ人間』文藝春秋) ~


  古倉恵子は、コンビニ店員のバイトを大学1年から始め、36歳の今も続けている。
 18年間同じ店である。その間に店長は8回代わった。
 この主人公は、実際に身近にいたら、たぶんけっこうヤバい。本来の意味で。
 小学校にあがる前、公園で死んでいる小鳥を見て、焼き鳥にして食べようと本気で母親に提案する。
 小学校低学年、クラスで男子がけんかをはじめたとき、「とめて!」と誰かが叫ぶのを聞き、たまたま掃除用具入れにあったスコップで男子の頭を思い切りなぐって、「とめ」ようとする。
 この子はどこか感覚がおかしいといぶかった両親が、カウンセリングに連れて行ったというのもうなづける。

 ただ、本人には自分の何がおかしいのかわからない。わからないながらも、周囲からおかしいと思われていること自体は感じられるようになる。そこは、真性のあぶない人と異なる点ではあろう。
 自分がおかしいことを悟られないためには、人と接しなければいいという結論に達した彼女は、中学にあがってからは、極力おとなしく、人目につかないようにふるまった。
 そんな様子を理解し、愛情をそそいでくれる両親に感謝しながら、「いつか治るといいね」と会話する声が耳に入ってくると、違和感をおぼえる。大学生になるとひとり暮らしをはじめ、相変わらず人と関わらない暮らしを続けた。

 それが一変したのは、近くに新しくできたコンビニとの出会いだ。仕送りは十分してもらっていたが、アルバイト自体には興味があった。面接に出かけるとすぐ採用が決まる。研修がはじまる。
 他人との接し方について、ことこまかにマニュアルがある。それにしたがって笑顔をつくり、元気よく声をあげ、あいさつをする。ほめられる … 。
 はじめて普通に人と関わり、役に立っている自分を実感できる場所だった。
 その後、普通の就職をしてみようと思ったことはもちろんあった。しかし、コンビニのバイトだけが職歴という時間が長くなると、書類で落とされることが多くなる。
 親にも勧められるが、積極的にコンビニをやめようという気持ちはもともとない彼女は、そのままの暮らしを続けた。そして18年 … 。

 状況は一気に展開する。
 婚活目的と公言してバイトに入ってきた白羽という男との出会いだ。
 恋愛感情を抱いていたわけではないが、白羽とつきあっていると勘違いされる状況になる。
 それを否定せずに受け流していると、自分に対する周囲の扱いが変わった。
 もしかすると、これが「普通の人」と扱われている状態なのかとそのとき気づいたのだった。
 形だけの同棲をはじめ、それが知られるとまた、コンビニで働く仲間も、家族も、やっと彼女は「普通」になったとはしゃぐ。なんだ、こうしてればみんな喜んでくれるのか … 。
 いつまでもコンビニ店員ではいけないという白羽にさとされ、ついにコンビニを辞めることを決心した。
 実際に辞めてみると、18年「コンビニ人間」として生きてきた彼女は、案の定どうしていいかわからなくなる。


 ~ コンビニを辞めてから、私は朝何時に起きればいいのかわからなくなり、眠くなったら眠り、起きたらご飯を食べる生活だった。白羽さんに命じられるままに履歴書を書く作業をする他には、何もしていなかった。何を基準に自分の身体を動かしていいのかわからなくなっていた。今までは、働いていない時間も、私の身体はコンビニのものだった。健康的に働くために眠り、体調を整え、栄養を摂る。それも私の仕事のうちだった。 ~


 たとえば流れ星 … 、あ、ちがった、たとえば定年で会社を辞めたあと、どうしていいかわからなくなるお父さんが、世間には多数いるという。
 「コンビニ人間」とどこが変わるだろうか。
 履歴書を送ったある会社の面接に向かう途中、立ち寄ったコンビニで「声」が聞こえてきた。
 レジには行列ができ、店員がさばききれていない。陳列棚は、きれいに整っていない。
 思わず、棚の方に向かい、商品の並びをかえる。
 レジから不審げに視線を送ってくる店員に、バッジを見せるようなそぶりで「おはようございます」と控えめに声をかける。本部の社員と理解されたようだ。
 安心して作業を続けると、店内の空気が一気に変わった。「ありがとう」と店が言ってくれている。


 ~ コンビニはお客様にとって、ただ事務的に必要なものを買う場所ではなく、好きなものを発見する楽しさや喜びがある場所でなくてはいけない。私は満足して頷きながら、店内を早足で歩き回った。
 今日は暑い日なのに、ミネラルウォーターがちゃんと補充されていない。パックの2リットルの麦茶もよく売れるのに、目立たない場所に一本しか置いていない。私にはコンビニの「声」が聞こえていた。コンビニが何を求めているか、どうなりたがっているか、手に取るようにわかるのだった。 ~


 「おまえ、何してるんだ!」
 白羽さんがみつけてどなる。そんなことはもうやめろと言っただろうと。
(実は白羽さんも、かなりヤバい人だ)


 ~ 道路まで私を引き摺って怒鳴った白羽さんに、私は言った。
 「コンビニの『声』が聞こえるんです」
 私の言葉に白羽さんは、おぞましいものをみるような目になった。白羽さんの顔を包んでいる青白くて薄い皮膚が、まるで振りつぶしたようにしわくちゃになった。それでも、私は引き下がらなかった。
「身体の中にコンビニの『声』が流れてきて、止まらないんです。私はこの声を聴くために生まれてきたんです」
「なにを……」
 白羽さんが怯えたような表情になり、私は畳み掛けた。
「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです」 ~


 ここまで変な人はそんなにいないよなと思いながら読んでたけど、そうでもないかな。
 むしろ現代人はなんらかの「なんとか人間」ではないか。
 定年で途方にくれるお父さんが「会社人間」であるように。
 待てよ、おれも「学校人間」か … 。
 客観的にこの業界を見渡してみると、「コンビニ人間」級の危険さをもつ「教師人間」「部活人間」が、なんとたくさん生息していることか。それにくらべてら、自分なんか、まだまだ普通すぎる。

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友がみな

2016年08月01日 | 日々のあれこれ

 

 本番四日前。
 コンクールがはじまってから、親しくさせていただいている学校さんの、いい結果が入ってくる。
 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ … 」
 今日は、本番前最後のバンドレッスン。残された時間のなかでやるべきことをどれだけやれるかだ。
 やるべきことはいやというほどわかっている … のかな?
 部員も、自分も。
 レッスンをうけるたび、いかに自分が甘かったかを知らされるということは、本当はわかってなかったのだ。
 ただ、やるべきことが、かなり鮮明に見えていると言うことはできる。
 同時にそれは、そのままで本番に臨めば、圧倒的にへたくそに聞こえてしまうということでもある。
 やりきった! という気持ちで会場に向かいたい(願望であって、強い意志になってないところが問題なのか)。
 「花を買い来て」誰かと親しんでみようかしら。

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