今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

私の投票行動

2009年08月30日 | 時事
午前中に投票してきた。
祭りの最中なので、浴衣姿で。

投票所は、行列するほどではないが、ひっきりなしに人がやってくる。
今日は曇天で、雨もなく、暑くもなく、かといって行楽日和でもなく、格好の投票日和。

さて、自分の投票行動だが、
まず比例区は、「みんなの党」に決めていた。
なぜなら、現在の自民・民主の中のそれぞれマシな人たちで新党つくってもらうのが一番だと思っていて、
その考えに一番近いのがここだから。
逆に言えば、今の自民・民主それぞれに問題を感じている(自民の方が問題、いや責任が大きい)。

ということで、困ったのが、小選挙区。
現職だった自民候補は、それなりに実績もあり、信頼できるが、
今回は自民に属しているという点で、どうしても入れたくない。
一方、民主の新人は、民主というだけが売りでしないようで、
ネットで調べたら、区議時代に問題があったようだ
(問題ありというなら、「みんな」の比例候補も問題あるんだが、こちらは本人がきちんと謝罪している)。
さらに白けたのは、両候補とも、比例名簿に載っていること(重複立候補)。
重複ってことは党にとってはそれだけ大事な人物という評価なのかもしれないが、
こうやって保険かけられた候補は、有権者からは応援のしがいはなくなる。
なので、結局、白票にした。

これで終わっては、投票所に足を運ぶ意義がうすれるが、
私は最高裁判事の国民審査は全員×をつける作業をするので、やりがいがある。

投票の後は、たこ焼きを買いに祭りの場へ直行。

国民審査も忘れずに

2009年08月30日 | 時事
衆院投票と同時に行なわれる、最高裁判所裁判官の国民審査。
白票=信任と解釈されるため、審査の体をなしていない。
これは、国民の司法権力に対する権利遂行として問題。

なら、どうすればいいか。
個別の審査するには情報が足りない、そこまで関心がないという人は
この制度が審査レベルに達するための援護射撃的行動をすればよい。

それは、”全員に×をつける”こと。
これは審査(可否)のボーダーラインを底上げする意味がある。
そうすれば、きちんと個別判断した審査結果の差が生きてくる。
又、このいいかげんな制度そのものに対する、批判としても意味もある。
万が一全員が審査結果で否認されたら、絶対に改良されるから。

最高裁判事って、自分が被告(しかも冤罪事件の)になった場合だけでなく、
自分の生活に関係する行政訴訟・憲法解釈の判決(たとえば一票の格差)や、
最近では裁判員制度などの問題も関係していることをお忘れなく。