国会事故調の報告書を読んでいた。
先にまとめられた民間事故調と異なり、ネットで全文をダウンロードできる(細かい部分が不要な人は、要約版、ダイジェスト版で充分)。
委員長が自賛するように、詳細な調査および検討考察結果になった労作であり、
事故の全貌を知ることができる。
ただ、その詳細な事故およびその対策の過程と論評を読んでいて、空しさを禁じえなかった。
まずは、事態の情報は精細化されたが、既知の情報の大枠を変更する重要で新たな情報は少なかったので、
読んだ量の割りに得る情報量が少ないため(もちろん、いくつかの不確かな問題は検証されていた)。
そして何よりも、事故が起きてから、16ヶ月後に読むことの空しさ。
すべては後の祭りなのだ。
すでに、放射線を被曝し、故郷を失い、除染が手遅れとなり、大飯原発が再稼働され、
何事も無かったかのように、”再出発”している。
この報告書は、まずは今後の原発政策に活かされることを期して出されたのだが、
その目的が達せられる雰囲気が、”国会”において感じられない。
今回の被害は、事故が想定外だったからではなく、
わが国に危機管理能力が無かったからというのがよくわかる。
その根本は、危急の事態に対応する、臨機応変な対応力の欠如であり、
その原因は、”無用の混乱”を異常なまでに恐れる、お役所的秩序志向。
そこにあるのは、「パニック神話」という根拠の無い誤った人間観の思い込み。
その結果、正しい情報を迅速に公開せず、定常的な手続きの整合性に執着し、
自己の責任回避を最優先する。
パニックを恐れて、正しい情報を秘匿することが、実は人々を疑心暗鬼にさせ、
パニックを誘発するのだ。
時間がある人は、東京電力がひと足先にまとめた社内事故調の最終報告書も
ネットでダウンロードできるので、読んで、いや一瞥してみたらどうだろう。
量こそ膨大だが、自己弁護だらけで、読むには値しないが、
これが、まさに国会事故調が指弾した当事者の姿なのだ…空しい。
大津のいじめ自殺事件に対する対応もまた同じ…。