東京観光の西のメッカ、高尾山(599m)の奥に高尾山を一回り大きくしたような山があり、それを城山(670m)という。
この付近には城山が他にも複数あるので他と区別するため、小仏峠の上にあることから最近では「小仏城山」と言われている(ただ、いつ誰の城があったのかの説明に触れたことがない※)。
※中田正光『よみがえる滝山城』(揺籃社)によれば、天正17年、八王子城主北条氏照が、徳川の甲斐からの侵入に備えて、この山の西側の山腹に柵を設けたという。堡塁であって城郭などは造られなかった。
この小仏城山、山を始めた中学時代の私にとっては、陣馬山(855m)から高尾山までの16kmの”奥高尾縦走”の通過点でしかなく、
大学の山岳部で北アルプスの白馬から穂高までを大縦走していた時分は、”高尾”などバカにして山とはみなしていなかったし、その後はこの程度の低山は、ランニング感覚で走る場だった。
そのような私も、今ではこの小仏城山が登山限界となってしまった。
今年の春から左膝が下山時に痛むようになり、最後は歩行不能になるほど痛くなるのだ。
5月、陣馬山~景信山(727m)と奥高尾の前半部を縦走し、景信から小仏集落に下る時も痛くなった。
そして、奥多摩入門の高水三山(700m台)を下った時も、ほとんど歩けないくらいに痛くなった。「腸脛靭帯炎」と思われる。
私には、700mを越える山は無理ということがわかった
日本の3000m峰のすべてに足跡を残したこの私が…。
なので、山に行くにも700mに達しない山から選ぶしかない。
景信でダメだったから、小仏峠を挟んだ先にある小仏城山が選ばれた。
沢沿いの6号路でまず高尾山に登り、人でごった返す山頂を素通りして、大きく下って、城山を目ざして紅葉の道を登り返す(写真)。
登りはなんともなく、高尾山から城山までは標準で60分のところを40分で達した。
城山山頂には茶屋があり、というより奥高尾の主たる山頂と峠には茶屋があり、春の天ぷらとかなめこ汁とかが評判だ。
ふつう、山登りだと食料持参が当然なので、こういう茶屋は利用するにしてもお茶くらいなもの。
だが、ここまで観光地化した高尾は、名物料理が増えたので、それらを素通りするのはかえってもったいない。
今回も朝と昼食をコンビニで調達してきたのだが、高尾山口駅の売店で「高尾の天狗のなっぱ寿司」(高菜で巻いた寿司)を思わず買ってしまった(310円)。
本当なら居並ぶ蕎麦屋の「とろろ蕎麦」も食べたいくらい。
なので、ここ高尾だけは、いつもの登山と違って昼食を現地で食してもいいと思う。
さて、城山山頂で、「なっぱ寿司」を食べ(おいしかった)、茶屋名物の「なめこ汁」(250円)を吸って体を暖めた。
最近の登山地図によると、城山から北東方向の尾根道に麓まで続く踏跡が記されている。
その尾根にはいい感じの峰もあり心惹かれる(上写真の中央やや右側の峰)。
そのルートの入口までいってみたら、他の登山道とはあきらかに違うかすかな踏跡と木に目印のテープがあった(道標はまったくない)。
こういうバリエーション・ルートは足腰に問題がない状態でないと踏み込むべきでない(動けなくなっても助ける人に出会わない)。
なので今日は、予定通り、相模湖に降りることにする。
前述したように、ここ城山は縦走の通過点でしかなかったので、城山からの下山道は初めて。
ダブルストックを使って、膝をいたわりながらどんどん下る。
調子に乗ってちょっと左膝に体重をかけたのか、ある時から急に左膝が痛みだした。
もう下界が迫っている。ここまできて歩行困難になりたくない。
左膝に巻いていた鴻江ベルトをきつく締め直した。
そのおかげか、痛みが和らぎ、普通に歩くことができ、なんとか下界に降り立った。
平地になれば、今までの痛みはウソのように消える。
というわけで670mの小仏城山が私の登山限界だとわかった。