今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

比企の山城訪問

2015年02月15日 | 城巡り

大学の仕事は大方終わったので、東京に帰省した。

帰省後最初の日曜。昔なら山歩きをする所を、歩きとしてはグレードダウンした山城巡りにすることにした。

山城は戦国時代に雨後の筍のように作られた。

その戦国時代は、かつての京都中心史観では早くて応仁の乱(1467年)からとされたが、すでに京に対抗する地域となっていた関東では享徳の乱(1453年)から始まっている(東日本を管轄する鎌倉府の没落による関東の争乱)。
そして戦国の終焉(天下統一)は、もちろん秀吉の小田原の役(1590年)。
つまり、戦国時代は関東で始まり、関東で終わったのだ。 

その関東でも諸勢力の最前線となったのが関東の中央部である武蔵の国。

私の山城巡りは、東海地方と関東という2つのひのき舞台が対象となる(この二つの地域だけで、武田、北条、上杉、今川、織田、(羽柴)、徳川という大河主役級の戦国大名が揃う。

関東の戦国前期(古河公方と両上杉の対立)は高校時代から興味があったので、この時代の史跡を本格的に巡れるのは楽しみだ。 

ということで、第1弾として、武蔵武士の故郷ともいえる比企郡に足を運ぶ。
比企と言えば、鎌倉幕府を支えた御家人・比企能員だが、今回は戦国の山城なので彼とは無関係。 

東武東上線の武蔵嵐山(らんざん)で降り、菅谷城跡(国指定史跡) に向う。
まずは城内にある「嵐山史跡の博物館」を見学。
そこで開催されていたのがなんと「 戦国時代は関東から始まった」展。
資料も購入して、館外の城跡を巡る。
ここは元々は鎌倉時代の御家人・畠山重忠の居館だっといわれ、昭和初期に造られた彼の石像もある。
ちなみに木曽に移る前の義仲もこの近くで誕生した(次回に巡ろう)。
その後、ここは関東管領・山の内上杉氏の勢力内となる。
城主は不明だが、郭(曲輪)周囲の土塁と堀がしっかり残っている。

次は、ずっと北に向う。
公共交通機関がないのでひたすら歩く。
でも山歩きに比べれば平地の舗装道路なので、ウォーキングのつもりでいい。

そして着いたのが、杉山城跡(国指定史跡、史料では「椙山」表記) 。
ここは戦国期城郭の”最高傑作”といわれる山城で、縄張の配置が教科書的。
つまり関東の山城巡りでまず最初に訪れたい所。
敷地は完全に私有地なのだが、樹木も切り取ってあり、縄張り地形が見やすい(写真は本郭に向う帯郭、途中に堀が切ってある)。
大手門の手前に簡易トイレも設置してあり、助かる。

城跡に踏み込む時は、城攻めの先兵になったつもりで歩く。
この城では、”虎口”(郭の出入口)をのほほんと抜けようとすると、側面の”横矢掛り”から、弓や鉄砲の一斉射撃にさらされる。
この城の本郭に達するまで、自分は幾度射貫かれたことか…
逆に城兵のつもりになって郭の端に立てば、下から侵入してくる敵兵の動きが手に取るようにわかる。 
あとは弓なり鉄砲なりで射降ろせばいい。
城とはそういう所だと、ここは教えてくれる。

「佐野:唐沢山城」

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