この3日間、昼は図書館(国立国会、都立中央)、夜は自宅で論文執筆に費やし、なんとか論文の体を為すレベルに達し、締切に間に合うメドがついた。
一年で一番苦しい懊悩期間を乗り越えたわけだ。
図書館では、集中しすぎて頭部が前傾しないように、棒状の折畳み書見台を使ってノートパソコンを立てて(MacBookAirは軽いからこれでOK)、画面を目の高さにしている(マウスとキーボードを外付け)。
そうすれば、背もたれによりかかったまま、作業に没頭でき、首の凝りも目の疲れも生じない。
自宅では、書斎空間で買ったばかりのモーツァルト全集のCDを片っ端からかけて、BGMにしている。やはりうるさくない音楽が流れていた方が頭が疲れない。
そういえばモーツァルトは音楽を作るのに懊悩なんてしなかったよな。
私の論文の書き方は、ワードのアウトライン機能を使って、まずは見出しレベルの構成を作り、その構成部分の任意の文章化しやすい箇所から作っていく。
つまり前→後という線形の流れを無視する。
構成の枠組みができているので、そうやっても骨子がくずれない。
集中しやすい所から手をつけるので、滞ることが少ない。
あちこち跳ぶと、いつのまにか全体が視野に入るので、論旨の流れがかえってスムースになるくらい。
実は論文の構造って、線形というよりむしろ立体的だったりするから。
アウトライン画面だと、段落ごと入れ替えるのも楽だし、なにより見出しや列挙の通し番号が編集のたびに自動修正してくれるのが楽。
モーツァルトのような天才ではない私は、落とし所の目算がない時点で始め、五里霧中状態で、懊悩呻吟しながら進めていくうちに、いつしかどこかの落とし所へ自然に導かれていくのを期待する。
これを称して「行き当たりばったり方式」という。
実際、自分が考えもしなかった結論が、論理的に私の前にススっと連れ出されてくるのだ。
結論以外の部分も、最初は粗雑で、時には正しくなかった論理も、入力しながら推敲(頭の中ではなく画面上に打って考える)を重ねていくうち、各所で緻密になっていく。
こういう試行錯誤をしながら、それがいつの間にか完成品になっていくのは、つまり「行き当たりばったり方式」でOKなのは、ワードのアウトライン機能のおかげだ。
私は、論文原稿はもとより、講義ノート(話題の換骨奪胎が楽)も読書ノート(重要な研究書は理解を深めかつ再読しなくて済むようにポイント部分をノートに書き写す)もすべてアウトライン画面で作っている。
ただしデフォルト仕様ではなく、自分なりのレイアウトを論文用のテンプレートにしていて、仕上がったら印刷レイアウト表示にして、そのまま印刷して提出できるようにしている。
学生にもアウトライン画面の使い方を教えるのだが、残念ながらどうもピンと来ないようだ。