今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

懐かしい秋川八期会2016

2016年11月27日 | メモリアル


今はなき都立秋川高校の同期会が、いつもの時期・いつもの場所で開催され、数年ぶりに参加した。
といっても、年一回はなんらかのイベントには参加している。

まずは、毎年この会を開いてくれる幹事たちに感謝。

当時の先生も5名参加して、我々との外見の差が縮まっていくのを感じる(我々側が歳とっている)。

全寮制の高校で、生活をともにしてきて、全員が顔見知りであったため、当時のエピソードは腐るほどある。
いまだに初めて聞く話に事欠かない。 

湧き上がる「懐かしさ」に浸っていると、時間的存在者たる”現存在”の根本気分である「懐かしさ・郷愁」に思いをはせる。

過去という時間性に対する気分である「懐かしさ」。
かつては存在し、今は存在していないという、記憶の中の存在に対して抱く気分。
存在と不存在の双方を体験したからこそ、その存在を正しく受けとめることができる。
その時とはまた異なる追体験によって、自分の歴史性(時間によって創られた自分)が確認される。
懐かしさは、忘却していた存在との再会による存在実感の気分なのだ。
しかもその実感は、過去を共有していた他者たちとの共感を伴っている。
他者たちと共に味わえる存在実感なのだ。 

懐かしさに浸るのは、後ろ向きの態度で生産的ではないという懸念がないことはない。
だが、「存在忘却せずに存在を実感して生きる」というハイデガーの格率を生きたい私は、
未来や現在だけでなく、どんどん増えていく過去に対してもきちんと存在を実感したいのだ。
だから、懐かしさを大切にしたい。

そういえば、参加者の中に、私のブログの読者になってくれている同期生がいた。
せっかくならコメントを残してくれるよう頼んだ。

懐かしさに浸って、2次会まで行き、久しぶりに酔った。
翌日は日曜だからよかった。
懐かしさの代償が少々体にきた。